
高度経済成長期に向かう日本 ―後編―
10/12(日)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/29
戦争体験者の「生の声」が持つ、人の心を根底から揺さぶる力は、何物にも代えがたいものです。その声の担い手たちが、時の流れとともに静かに舞台を降りていく今、「記憶の風化」という静かな脅威が、私たちを脅かしています。
そのような現代にあっては、戦争の記憶を繋いでいくことは、もはや語り部個人の奮闘にのみ依存する段階を過ぎ、社会全体が多層的な対策を講じるべき新たなフェーズへと移行しているのです。それは、個人の記憶を組織の、そして国家の永続的な資産へと転換するための、壮大で複合的なプロジェクトであり、人間的な温もりから最先端のデジタル技術まで、あらゆる手段が動員されています。そして、その中心にあるのは、やはり「人」の存在なのです。
昨今、体験者から直接バトンを受け継ぐ「次世代の語り部」の育成が、全国で喫緊の課題として進められています。彼らは、戦争を直接知らないという弱みを、「だからこそ何が伝わりにくいかが分かる」という強みに変え、同世代の心に響く言葉と方法を模索する「記憶の翻訳者」です。堺市の大学と連携したプロジェクトでは、学生たちがピースメッセンジャー(体験者)と対話し、自らの言葉でシナリオを練り上げ、手作りの焼夷弾(しょういだん)模型などを用いて小学生に語りかけています。これは単なる暗唱ではなく、受け取った重い事実を自らの中で咀嚼し、新たなナラティブとして再構築する創造的なプロセスであり、この「自分事化」の過程こそが、聞き手の心に深く突き刺さる共感の源泉となっています。
一方で、この人間的な伝承を支え、その永続性を担保するのが、デジタル技術によって構築される「記憶の要塞」でもあります。NHKの「戦争証言アーカイブス」をはじめとするデジタルアーカイブは、1100人を超える証言者の声を収集し、いつでも、どこでもアクセス可能な巨大な知識データベースを形成しています。これは、企業のナレッジマネジメントシステムと同様、属人化しがちな暗黙知(個人の経験や勘、直感などに基づいて持つ知識)を、組織の共有財産である形式知(誰にでも理解できるように表現された客観的な知識)へと転換する試みです。
しかし、その利用は終戦記念日周辺に集中し、すぐに人々の関心が薄れてしまう、といった課題もまた浮き彫りになっています。データはそこにあるだけでは意味をなさなく、それをいかにして生きた知恵として活用させるかが、大事なのです。
その答えの一つが、VR(仮想現実)やAI(人工知能)といった技術による没入型体験です。東京大学の研究室などが進めるプロジェクトでは、被爆者の証言や記録を基に、原爆投下直後の広島をVR空間に再現するという体験ができます。体験者はゴーグルを装着し、360度に広がる被爆前の街並みを歩き、B29が飛来し、閃光が走る瞬間を「一人称視点」で疑似体験する――。これは、単に事実を「知る」のではなく、その恐怖と混乱の文脈を「感じる」ための強力なツールであり、戦争を「他人事」から「自分事」へと転換させる劇的な効果を持ちます。さらに、AI技術によって白黒写真をカラー化し、当時の光景をより鮮明に現代に蘇らせたり、膨大な証言データベースと対話できるAIアバターを開発したりと 、記憶との新たな接点が創出し続けられています。
しかし、記憶の承継は、テクノロジーだけで完結するものではありません。人間の感情に訴えかけ、集合的な体験を創出する演劇という媒体もまた、不可欠な役割を担っています。沖縄では、戦争体験者の証言を基にした「平和劇」が上演され続け、戦争を知らない世代の役者たちが、ガマ(自然洞窟)での極限状態を演じることを通して、記憶を身体化し、観客と共有しています。また、アメリカ兵と結婚した「戦争花嫁」の実話に基づく舞台は、敵国人と愛し合った女性の苦悩と生き様を通して、戦争を多角的な視点から描き出しています。これらの芸術活動は、事実の羅列では伝えきれない感情の機微や人間ドラマを浮き彫りにし、観る者の心に問いを投げかけているのです。
そして、記憶の承継は、未来に向けた新しい表現だけではありません。過去を物理的に守り、その場で対話を行うといった活動もなされています。その例が、日本最初にして最大規模の陸軍墓地である旧真田山陸軍墓地での多角的な取り組みです。ここでは、市民ボランティアの手による清掃や、風化し崩壊の危機に瀕する5,000基以上の墓碑の修復といった地道な物理的保存活動が続けられています。毎年8月15日には、無数のろうそくを灯す「万灯会」が催され、戦争を知らない世代に平和の尊さを伝える静かで荘厳な儀式となっています。さらに、研究者らによるNPO法人が定期的な案内会を実施し、歴史的史跡としての学びの場を提供する一方、「旧真田山陸軍墓地芸術プロジェクト」のように、埋葬者の名前を読み上げる音声を聞きながら墓地を巡るパフォーマンスなど、現代的な芸術表現を通じて、記憶との新たな対話を試みる活動も生まれています。
これら多様な活動を社会の基盤として支えるのが、平和教育という制度的な仕組みです。広島市や長崎市では、発達段階に応じた独自の平和教材が開発され、児童生徒が体系的に学べるプログラムが実践されており、地域の戦争体験者からの聞き取りや戦跡のフィールドワークといった参加体験型の学習が重視されています。そこでは、知識の習得だけでなく、平和を希求する心を育むことが目指されているのです。
一方で私たちが今生きる社会において試みるべき努力は、単に過去の記憶を保持するだけではなく、それを未来への指針として活用することにあります。戦争の記憶は重要ですが、それだけでは私たちの心を育むには不十分です。私たちを取り巻く環境は絶えず変化していますが、その中で生きる指針となるのは、過去の歴史や教訓、そして帰属する組織の目指すべきミッションです。ビジネスを通じて、単にお金を得るために働くのではなく、さまざまな人々と触れ合い、想像力を働かせ、自分の使命を自覚することで、人々の人生を豊かにすることができます。
しかし、多くの人が自分の組織が乗り越えてきた困難や使命を知らずに、自分の人生の尺度で道を選んでいるのが現状です。 戦争の記憶が風化していく中で、私たちは戦争を追体験する努力を続けることで、その愚かさを忘れないようにしています。同様に、各個人が自分の所属する組織や社会をもっと知ることで、人生を豊かにすることができるのではないでしょうか。私たちは、戦争の教訓に学び、次なる未来を築くための希望を社会に与える使命を持って生きることで、平和の中に社会の活力を見出すヒントを得ることができると思います。 それが、私たちの心を育む基盤となるのです。
写真提供:公益財団法人真田山陸軍墓地維持会
終わりに