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「これ本番ですか?」から始まった宇宙への旅路—日本人初の宇宙飛行・秋山豊寛さんが遺したもの
ビジョナリー編集部 2026/09/02
2026年8月26日に、秋山豊寛さんが84歳で逝去されたことが報じられました。日本人初の宇宙飛行、そして民間人として世界で初めて宇宙ステーション「ミール」に滞在し、リアルな言葉で宇宙の姿を届けた彼の姿は、いまも多くの人々の記憶に強く刻まれています。
宇宙から帰還した後は、環境と命の重みに向き合い続けた秋山さん。この記事では、なぜ宇宙を目指すことになったのかという経緯、語り継がれるエピソード、そして地球へ帰還した後に選んだ情熱あふれる生き様について、歴史的意義とともに詳しくご紹介いたします。
「普通の記者」が宇宙へ:TBS宇宙特派員計画の経緯
宇宙へ赴くことになったきっかけは、1989年にTBSが創立40周年事業として立ち上げた「宇宙特派員計画」でした。「報道のプロであるジャーナリストを宇宙へ送り込み、一般市民と同じ目線で宇宙のリアルをリポートする」という、当時としては極めて挑戦的で画期的なプロジェクトだったのです。
社内応募と選考を経て宇宙特派員に選ばれた彼は、旧ソ連の宇宙飛行士訓練施設「星の街」へと向かいました。言葉も文化も異なる異国の地で、ロシア語の習得をはじめ、加速度に耐える訓練や遠心分離機を用いたトレーニングなど、本物の宇宙飛行士と同等のハードな訓練を受ける日々が始まりました。
一人の記者としての強い責任感と取材への情熱、そして「ありのままの宇宙を人々に届けたい」という強い意志が、訓練を乗り越える原動力となりました。幾多の困難を克服し、ソビエト連邦から公式に「第3級宇宙飛行士」の国家資格を取得するに至ったのです。
宇宙からの生中継:率直な言葉が生んだ感動と名エピソード
1990年12月2日、秋山さんを乗せた宇宙船「ソユーズTM-11」が無事に打ち上げられました。宇宙空間に到達し、日本のテレビ画面を通じて届けられた第一声は、今なお語り継がれる歴史的な名言となりました。
「これ本番ですか?」
無重力空間に漂いながら、スタジオに向かって発せられたこの一言は、日本中を驚かせると同時に温かい笑いに包まれました。緊張感が漂う大舞台において、あまりにも素朴な言葉だったからです。宇宙が遠い夢の世界ではなく、自分たちの生活の延長線上にあることを、全国の視聴者に強く実感させた瞬間でした。
滞在中のリポートも、ジャーナリストとしての真骨頂を発揮するものでした。激しい「宇宙酔い」に苦しみ、頭痛や吐き気に耐えながらも、カメラの前で隠すことなく自らの体調や苦しみを生々しく描写しました。一人の人間として宇宙のリアルを伝え続けたのです。タバコが吸えないつらさを愚痴る姿や、無重力の中で水滴と戯れる姿など、親しみやすいリポートは親近感を呼び起こしました。
大地への帰還:劇的な転身
8日間に及ぶ宇宙滞在を経て無事に地球へ帰還した秋山さんですが、彼のさらなる挑戦はここから始まりました。「お金や権力や名声などと云ったものが、あまりにもちっぽけで、そういったものに興味が湧かなくなった」とも語ったように、宇宙から地球という惑星を見つめた経験は、彼の人生観と価値観を根本から変えていたのです。
1995年にTBSを退職し、報道の第一線という立場を捨て選んだ新しい道は、福島県田村町(現・田村市)での「無農薬農業」でした。滝根町が92年につくった天文台施設「星の村」に名誉村長として招かれたことをきっかけに、自ら鍬(くわ)を握り、土に触れ、農薬を使わずに野菜や椎茸を育てる生活をスタートさせたのです。
最先端技術の結晶である宇宙船に乗った男が、最も原始的でありふれた「土を耕す生活」へと向かったこの決断は、多くの人々に驚きを与えました。
時代のうねりの中で:最期まで問い続けた環境と人間の未来
福島での農業生活を15年以上にわたって続けていましたが、2011年の東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第一原発事故により、丹精込めて作った畑からの避難を余儀なくされました。丹念に育ててきた土壌が放射性物質で汚染されるという痛切な体験を経ても、彼の意志が折れることはありませんでした。
その後は京都造形芸術大学で教授を務め、若い世代に向けて環境問題や生命の尊さを教えるとともに、三重県へと拠点を移して晩年まで土とともに生きる姿勢を貫きました。全国での講演活動や執筆を通じ、「人間はどう自然と共生していくべきか」を、自らの体験と言葉で問い続けました。
おわりに:秋山さんが私たちに遺したもの
専門家ではないジャーナリストの視点から宇宙のリアルを言葉にし、さらに宇宙から帰った後はその経験を「地球環境を守り、命を育む生活」へと昇華させた生き様そのものが、彼が遺した大きな功績です。
「宇宙から見た青い地球」と「足元にある豊かな緑の土」。そのふたつを人生を通じてつないだ秋山さんの言葉は、環境破壊や対立に揺れる現代社会を生きる私たちにとって、これからも大切な指針となり続けるでしょう。
命の尊さと地球の美しさを教えてくれた偉大なジャーナリストに、心からの感謝と深い追悼の意を表します。


