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「神武以来の天才」と呼ばれた棋士――加藤一二三の生涯と将棋界に残したもの
ビジョナリー編集部 2026/03/09
昭和から令和まで、世代を超えて多くの人々の記憶に残り続ける棋士がいました。その名は 加藤一二三。彼の人生は、まさに日本将棋界の激動と進化そのものを体現してきました。盤上の世界を超え、テレビやバラエティでも「ひふみん」の愛称で親しまれたその人柄と伝説の数々――彼の生涯を改めて紐解いていきます。
“六さん”と呼ばれた少年時代
1940年1月1日、福岡県嘉麻市に生まれた 加藤一二三 は、家族や近所の子どもたちと自然に将棋を覚え、5歳にして勝ち続ける毎日を送っていました。名前の「一二三(ひふみ)」を数字に見立てると1・2・3となり、その合計が6になることから、周囲からは親しみを込めて「六さん」と呼ばれていたといいます。
しかし、あまりにも勝ち続けてしまったため、一時は「つまらない」と感じて将棋から離れた時期もあったそうです。転機となったのは小学4年生のとき。偶然読んだ新聞の将棋観戦記に心を打たれ、「理詰めで積み重ねていく知のゲームだ」と気付き、再び将棋の世界にのめり込むようになりました。
母親の勧めで地元の将棋クラブに通い始めると、その才能はすぐに周囲を驚かせました。やがて、夏休みに親戚を訪ねて京都を訪れた際、南口繁一八段との出会いが待っていました。このときの指導対局をきっかけに棋士の道を志すことを決意。1951年には南口家で内弟子として本格的な修行を開始し、関西の奨励会に入会しました。
異次元のスピード昇進──「神武以来の天才」誕生
1954年、14歳7カ月という当時の史上最年少記録でプロ棋士(四段)となり、初の「中学生棋士」となりました。順位戦ではC級2組から4年連続で昇級し、18歳3カ月でトップ棋士の証しであるA級に到達します。
この驚異的な実績が、経済成長期の「神武景気」と重なったことで、「神武以来の天才」という異名が定着しました。
後年、藤井聡太が数々の最年少記録を更新しましたが、若くしてトップ棋士の舞台へ駆け上がった加藤の歩みは、将棋史に残る伝説として語り継がれています。
名人戦への挑戦と“22年越しの悲願”
プロ入り後の加藤は順調に実力を伸ばしましたが、タイトル獲得までには長い時間を要しました。1963年、23歳で迎えた初めての名人戦挑戦では、大山康晴 名人を前に1勝4敗で敗退。以降も何度も大山の高い壁に阻まれ、初タイトル獲得は1968年、28歳のときの十段戦まで待つことになります。
その間、彼は“長考派”としても知られるようになります。序盤から持ち時間を惜しみなく使い、時には終盤で秒読みに追われることも珍しくありませんでした。しかし彼自身は「将棋の奥深さを考え抜くことが棋士の使命」と語り、たとえ時間に追われることがあっても、その姿勢を貫き続けたのです。
1970年にはカトリック教会で洗礼を受け、信仰を得たことで「自分が納得する手を指せばいい」と迷いが消えたと振り返っています。
そして1982年、42歳にして念願の名人位を獲得。中原誠名人との死闘は、持将棋や千日手も含めて全10局に及び、22年越しの悲願達成となりました。
羽生善治をも魅了した「人間力」
彼は将棋だけでなく、音楽や歴史、美術に対する造詣も深く、多くの棋士仲間や後進から慕われてきました。
羽生善治九段は加藤との公式戦を21回経験し、「対局中はもちろん真剣勝負ですが、感想戦では思考の速さや独特の発想に何度も驚かされました」と振り返っています。
一方の 加藤一二三 も羽生を高く評価しており、「無人島に一つだけ持っていくなら羽生善治」と語ったこともあります。こうした互いへの敬意に満ちた関係は、将棋界でもよく知られていました。
人を惹きつけるその人柄こそが、将棋界の枠を超えて多くの人に愛された理由でもありました。
62年を超える現役生活、伝説の最年少・最年長対局
2016年12月24日、将棋界にまた新たな伝説が生まれます。76歳の 加藤一二三 が、14歳の 藤井聡太 と対局。62歳差の公式戦は、「最年長・最年少対局」として大きな話題を呼びました。
加藤は得意の矢倉を選び、藤井は「正攻法で教わりたい」という思いから相矢倉の形になりました。藤井はこの一局について「加藤先生に教えてもらい、光栄です」と語り、加藤も「終盤の寄せの速さには驚いた」と素直に称賛を送りました。
彼は現役最年長記録をはじめ、通算対局数など数々の歴代1位記録を残しました。現役年数は実に62年10カ月、通算対局数は2505局。さらに1度も休場がなかったことも特筆されます。
“レジェンド”としての晩年
2017年、77歳5カ月で現役を引退した彼は、その後「ひふみん」としてバラエティ番組やCM、イベントに出演し、老若男女に親しまれる存在となりました。将棋のみならず、歌手デビューやNHK紅白歌合戦の審査員など、多彩な活躍を見せたのは記憶に新しいところです。
晩年には文化功労者としても顕彰され、日本の文化や社会にも大きな足跡を残しました。引退後も「天職である将棋に全身全霊を傾けて打ち込むことができ、幸せな棋士人生でした」と自身のSNSで感謝の言葉を述べています。
まとめ
盤上盤外で伝説を築き上げた加藤一二三。彼が残した数々の記録やエピソードは、これからも語り継がれていくでしょう。その生涯は、将棋界だけでなく、私たちに“生きるヒント”を与えてくれる存在でした。
何かに迷ったり、壁にぶつかったとき、彼の歩みを思い出してみてください。努力を重ね、周囲への感謝を忘れず、何より自分らしい一手を指す――その姿勢こそが、新しい道を切りひらくヒントになるはずです。


