
沖縄戦が示した人間の尊厳と絆
10/11(土)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/18
第二次世界大戦の終盤、日本は孤立無援の状態で戦いを続けていました。1945年5月、ドイツの降伏により、日本とアメリカの戦力差は歴然となり、敗戦は避けられない状況でした。この暗い時期に、日本の指導者たちは、ソビエト連邦に最後の希望を託しました。ソ連が中立の立場を保っていたことから、和平の仲介者としての役割を期待したのです。しかし、この希望は幻想に過ぎませんでした。1945年2月、ヤルタ会談でアメリカ、イギリス、ソ連の三国は、ソ連の対日参戦を決定する秘密協定を結んでいたのです。日本が和平の仲介を期待したソ連は、実はすでに敵として日本に接近していたのでした。
この歴史的な瞬間の背景には、日本軍の3つの「失敗」がありました。
第一の失敗が、希望的観測による自己欺瞞(じこぎまん:自分の良心や本心に反しているのを知りながら、自分自身を欺き、正当化したり、不都合な事実から目をそらしたりする行為)です。日本の指導者たちは、論理的根拠のないまま「ソ連が仲介してくれる」という自分たちに都合の良いシナリオに固執し、ソ連が参戦する可能性を示唆する情報を、無意識に排除していました。東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣は、ソ連を唯一の和平仲介者と見なし、陸軍からの抵抗を抑えつつ、ソ連を通じて「国体護持」(天皇制の維持)を条件とした講和を模索していました。しかし、ソ連側は、ヤルタ会談での密約があったため、この特使派遣の申し出を何度も拒否しました。日本側は、ソ連が拒否する理由を正確に把握できず、「交渉がうまくいっていないだけ」と、楽観視し続けていました。
第二の失敗は、「情報分析の失敗」です。ヤルタ会談の密約を掴めなかった失敗はもちろん、それ以上に、ソ連が国境に大規模な軍隊を集結させているという客観的事実を知りながら、その意図も含めて正しく読み取ることができませんでした。満州に駐屯していた日本軍の主力である関東軍は、ソ連軍の動きを十分に認識していましたが、その意図を「国境警備を強化しているだけ」と見誤り、参謀本部への報告でも「ソ連の本格的攻勢は来ない」という見解を伝えていました。ソ連軍が迫っているという事実が目の前にあるにもかかわらず、それを都合よく解釈してしまったのです。
そして第三の失敗として、「リスクの優先順位付けの誤り」があります。日本政府は、「アメリカとの戦争をどう終わらせるか」という目の前の課題に集中するあまり、「ソ連が敵に回る」という、事態を根底から覆す最大のリスクを、想定から外してしまいました。1945年7月に連合国から出されたポツダム宣言を日本政府が一度黙殺したのも、ソ連の仲介に対する期待が大きかったからです。当時の首相だった鈴木貫太郎は、ポツダム宣言の受諾を巡る議論を先延ばしにし、ソ連からの仲介回答を待とうとしました。しかし、スターリンは日本を無視し、ポツダム会談にも参加しながら、密かにソ連参戦の最終準備を進めていたのです。
これらの失敗は、現代のビジネスにおいても、大きな教訓を与えてくれます。私たちはしばしば、「このプロジェクトは成功するはずだ」「この顧客は必ず契約してくれるだろう」といった希望的観測に基づいて行動し、都合の悪い事実から目を背けがちです。しかし、ビジネスにおいては、小さなリスクも見逃さず、課題を解決していくことが、会社やお客様からの信頼につながります。些細なことでも気づき、決して見逃さないこと、様々な情報を掴むとともに、得た情報を正しく分析し、事実から目をそらさないこと、そして目の前の小さな問題に追われるあまり、会社の存続を揺るがしかねないような、本質的なリスク(主要取引先からの契約打ち切り、信頼していたパートナーからの裏切りなど)を軽視してしまわないように、冷静に対処することが大切です。
会社という組織は、一人で成り立っているものではありません。リーダーや責任者だけではなく、一人ひとりの社員が任せられている職務に責任があります。責任を果たすというのは、問題に直面したときではなく、常日頃から抱えているリスクにも向き合うことです。各々が些細な変化や違和感を見逃さず、軽視することなく、自律的に考え、いかなる情報も速やかに上長へ発信し、適切な組織判断のもと行動していくことが肝要です。日本が直面した終戦間際の歴史は、現代を生きる私たち一人ひとりに、まず目の前の現実から目を背けずに取り組むことの重要性を伝えているのではないでしょうか。
沖縄戦が示した人間の尊厳と絆