
日中戦争の泥沼化
9/9(火)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/05
1930年代、日本は満州事変をきっかけに中国大陸への進出を加速させていきました。しかしこれは、当時の国際秩序に対する明確な挑戦であると、世界中からみなされました。特にアメリカは、日本の行動を国際的パートナーシップを軽んじるものと捉え、深刻な懸念を抱きました。遡ること第一次世界大戦後の1922年、「九カ国条約」が制定され、中国大陸における各国のビジネスチャンスを公平に保つことが目指されていた中、日本の行動は、この均衡を崩したのです。これが、日米間の溝を深める因となりました。
中国での権益を認めさせようとする日本と、大陸からの撤退を求めるアメリカ。交渉は平行線をたどり、1941年11月26日、アメリカは日本に対して「ハル・ノート」と呼ばれる文書を手渡しました。これは、中国大陸からの全面撤兵を求めるものでしたが、日本にとっては、文字通り“命を削り”、やっとの想いで手に入れた恩恵を手放すことを意味するものであり、到底受け入れがたい内容でした。
結果、交渉は決裂。アメリカは石油全面禁輸という最大の刃を抜き、イギリス、オランダもこれに追随することとなります。この経済制裁が日本に与えた影響は、計り知れないものでした。当時の日本は、石油供給の約8割と鉄スクラップの多くを、アメリカに依存していました。これらの資源は、日本の産業を動かす「命綱」そのものであり、禁輸措置が発動された瞬間、日本の工業生産は全停止の危機に瀕します。鉄が不足し、戦車や軍艦の建造・鉄道や建造物の骨組みに必要な資源が手に入らなくなり、物資は瞬く間に底をつきました。さらには石油も枯渇し、飛行機や艦船、工場を動かすための燃料が途絶え、自動車のガソリンは配給制となり、最終的には竹炭や薪を燃料とする「木炭自動車」が利用されるなど、人びとの生活そのものに甚大な被害を与えたのです。
かくして、各国の経済制裁という名の「命綱を切る行為」は、日本の工業力を麻痺させ、国民生活を困窮させました。特定のパートナー、特に供給源として圧倒的な力をもつアメリカとの関係を絶った結果、日本は経済的に孤立し、自らの首を締める状況へと追い込まれていったのです。
この歴史は、私たちの生きる現代のビジネスにおいても、重要な教訓を与えています。まず、特定のパートナーへの過度な依存は、リスクを抱え込むことを意味します。また、取引先や関係者との信頼関係を軽んじる行為は、事業や組織の存続自体を揺るがす可能性があるということです。戦時中の日本の姿から、他者との信頼関係を重んじること、社会のルールを守ることの重要性を、私たちは学ぶべきです。
予期せぬ事態に対していかに対応し、事業の継続性を保つかは、企業の存続に直結します。特定のリソースや市場に過度に依存することなく、柔軟性を持って対応できる体制を整えることが、今後のビジネスにおいて求められるでしょう。常に世界情勢に視野をめぐらせ、国際紛争や為替変動、気候変動など様々な要素から、この先世界経済はどう動くのかと、グローバルな視点から予測しリスク管理をすること。そして、国際社会との協調を図りながら、新たなチャンスを模索し、持続可能なビジネスモデルを追求していくことが、今後ますます予測困難を極める時代を生き抜くための鍵となるでしょう。
過去の歴史から学び、未来に向けて賢明な判断をし行動することが、今日のビジネスリーダーに求められる資質といえます。
写真提供:米国国立公文書館
日中戦争の泥沼化