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2025

    「メンズ館」の立ち上げ —— 紳士服部門から新ブランドを

    #12「メンズ館」の立ち上げ —— 紳士服部門から新ブランドを

    原石からダイヤへ

     マレーシアから戻った私が配属されたのは、新宿1階のファッションカジュアルの売場だった。いわゆるDCブランドと言われているビギ、ニコル、ギャルソン、ワイズの4つのブランドのメンズ館の1階で、アシスタントバイヤー時代の勤務地でもあった。

     私が一番、戻りたかった場所だ。

     メンズ館は当時、「男の新館」と呼ばれていた。その1階でバイヤーを2年勤め、その後はかねてより勉強したいと思っていた重衣料(編注:コートやスーツなど厚手で重さのある衣料品のこと)のバイヤーに2年ほど従事し、その後、商品部長へと就任した。

     部長となってから、社内である違和感に気づいた。婦人服部門では、婦人服部門には毎年のように大規模なリモデル予算が組まれている一方で、紳士服部門に対する投資は極めて限られていたのである。

     つまり、何か改装しようとすると、大体数百億規模の予算が捻出され、取り組むことができるのだ。一方で、紳士服売場に関しては、上司が予算申請をしても、ことごとく却下されてしまう。当時は紳士服部門出身の役員や経営陣が少なかったこともあり、紳士部門への注目度や優先順位は相対的に高くなかったように思う。

     これは、何とかしなければと思った。商品部長ののち、営業部長に就任、当時の代表である武藤社長を動かすより他にないと考え、決行した。

     武藤社長は、毎週月曜日の朝一番に店舗へ視察に来ることが分かったので、私は月曜日の朝一番に靴売場に立ち、到着を待った。予定通り社長がやってきて、「どうだ?」と聞かれた。ここからが、私の挑戦の始まりである。

     紳士部門にはどのような価値があるのか、理解してもらうときである。エドワード・グリーンという当時20万から30万の靴が、1週間で100足売れていること、Silvano Lattanzi(シルバノ・ランタッジ)という100万円のオーダー靴が、1週間で2、3足売れていることを社長に説明をした。 すると、社長は大変驚きの表情を浮かべた。

    「まさか、紳士部門でそんなにこだわったものが売れるとは」。

     良い手応えを得たので、その後も私は毎週社長が視察に来るたび、説明に説明を重ねた。ある日は靴について説明し、ある日はドレスシャツについて説明、別の日は肌着について説明した。

     そしてついに、社長の口からこのような言葉が飛び出した。

     「こうしたこだわりのある希少価値の高い商品をブランディングし販売することは、伊勢丹の『男の新館』にしかできないことだと思う。君は更にブランドを高めるために、何かできないか」と。

     チャンスが到来した。すぐさま企画書を作り、私と私の上司、もう一人のバイヤーと3人で社長へ提案した。

     従来の箱のような日本の百貨店の内装イメージとはまったく異なる、海外で取り入れられているような開かれた空間づくり。箱を取り払い、壁を取り払った斬新な売場のリモデルプランを提示した。

     それを見た社長は、ただ一言、我われに問いかけた。

     「お前らの覚悟は何だ」。

     私は、すぐさま答えた。

     「私の覚悟は、「1年で売上120%を達成します。それが果たせなければ、責任を取ります。それほどの覚悟を決めております。」」

     当時の年間売上に対して、約2割増しとなる高い目標を掲げる必要があった。社長はそれ以上の質問はせず、言った。

    「分かった。やってみろ」。

     こうして、我われの文字通り人生のかかった企画書が認められ、男の新館リモデルプロジェクトは始動したのである。

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