
羽田未来総研が挑む、新しい日本のビジネスの創出
4/28(月)
2025年
大西 洋 2025/04/21
“this is japan.” を掲げて地方創生に取り組んだ日々から時を経て、2017年3月、私は三越伊勢丹ホールディングスの社長を退任した。改革の種をまき、志を共にした仲間たちと歩んできたが、道半ばでの退任となったことに対し、複雑な想いもあった。
同時期に会社を離れた社員たちの進路が決まるまでは、自らの次のステップをすぐに決めることは控えたいと考えていた。ありがたいことに、さまざまな企業からお声かけをいただき、その中に日本空港ビルデング社があったのである。しかし、彼らの進路が決まるまではと丁重にご説明した。
すると、同社の会長は「まずは特別顧問として1年やらないか」と提案をくださった。「それならば」と、お世話になることにした。
1年が経過し、三越伊勢丹を離れた仲間たちが、それぞれの新天地で歩み始めたタイミングで、自分自身も新しい道へ進む決意を固めた。やはり小売業にもう一度関わりたいという気持ちが強く、次なるステージとして中国の高級百貨店グループからのオファーに心が動いた。シンガポールやニューヨークへの出店計画があると聞き、そのグローバルな展開にも魅力を感じた。
その決意をもって、空港会社の会長のもとを訪れ、1年間特別顧問として務めさせていただいたことへの感謝の意を述べた。すると会長から「あなたは何がしたいのか」と問われた。「私は、小売がやりたいのです」とお答えしたところ、「小売なら空港でもできるではないか」と返されたのである。
続けて、「やりたいことは他にもあります。アートや地方創生、マーケティングや人材育成などです」と話すと、「それならば、それらがすべて実現できる会社を作ろう」とと背中を押してくださった。
こうして誕生したのが、「羽田未来総合研究所」である。
正直に言えば、当初は中国の百貨店に進むべきか迷いがあった。世界的にも注目される大手グループであり、その成長の一端を担うという選択にも強い魅力を感じていた。
現地と東京を行き来しながらの勤務も可能だと聞き、チャレンジしてみたいという思いも強かった。しかし、羽田未来総合研究所であれば、自分の関心と強みを活かしながら、より柔軟に社会課題に取り組める。なにより、会長が新しい取り組みに対して非常に前向きで、「思い切って挑戦してほしい」と背中を押してくれたことが大きかった。
立ち上げにあたり、私は「地方創生」を核に据えたいと申し出た。これまでの経験を活かし、地域の価値を再編集していく活動に強い意義を感じていたからである。さらに、企業の成長を支える仕組みづくりとして、ベンチャーキャピタル事業の提案も行った。社外取締役からの慎重な意見も踏まえつつ、最終的には、実行に移すことができた。
現在は、羽田未来総合研究所では、アート&カルチャーの発信をはじめ、情報発信、観光開発事業、そして自治体・企業向けのコンサルティングなど、多角的な事業に取り組んでいる。
羽田という拠点を軸に、新たな事業を生み出していくことが、私たちのミッションである。 会長からは、制約を設けずに自由な発想で新しい事業の柱を築いてほしいと奨励を受けた。引き続きその想いに応えるべく、挑戦を重ねていきたい。