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2025

    豚ロースと「ちびっこのど自慢」

    #02豚ロースと「ちびっこのど自慢」

    原石からダイヤへ

     いまでも好物は、豚肉のロースだ。ひところはロイヤルホストの「豚ロースのしょうが焼き」にハマっていた時期もあった。豚ロースに対する思い入れの原点には、幼少期の忘れがたい記憶があるからだと思う。

     まだ、小学校に上がる前のことだ。裕福とは言えない我が家は、東京の世田谷にある母方の祖父の家に身を寄せていたのだが、そこには戦争で旦那さんを亡くした伯母一家も同居していた。 その理由は幼かった私にはよくわからなかったが、ある日、伯母家族と同じ食卓を囲んで食事をしている中で、いとこの皿には豚肉のロースが乗っているのに、私の皿にはもやしだけということがあった。そのとき、「いつか堂々とロースの豚肉を食べられるぐらい自分も頑張ろう」と強く思ったことを、今もはっきりと覚えている。物質的な豊かさよりも、自立し、安定した暮らしを手に入れたいという思いを初めて意識した瞬間だったかもしれない。豚ロースには、そんな想いを起させる深味がある。

     当時は幼かったため、詳しい事情は理解していなかったが、私は幼稚園にも保育園にも通うことはなかった。そのため、小学校入学が、初めて集団の中に入り、知らない人たちと接する経験になり、慣れるまでは、人見知りというか、ちょっとした引きこもりのような感じになってしまった記憶がある。給食当番の際に頭に三角巾をうまく結べなかった私のために、学校まで来て手伝ってくれた母の姿が思い出される。 そんな日々を経て、入学からしばらくたって、教室で相手から声をかけてもらって初めて話ができるようになり、ようやく友達ができるようになっていった。4年生になる頃には、少しずつ自分が何をやりたいのか意思表明ができるようになり、6年生では児童会長を務めるまでに成長していた。

     5年生のとき、「ちびっこのど自慢」というテレビ番組に出場した経験がある。当時はまだ自分の意思がはっきりしていなかったため、母親の後押しが大きかったことは間違いない。私には兄が二人おり、三男である私には少し違った道に進んでほしいという母の思いがあったのだろう。その番組の予選で出会ったのが、後に「野口五郎」として活躍する、当時「岐阜の天才少年」と呼ばれていた少年だった。彼は25点満点の25点、私は18点。結果こそ及ばなかったが、この経験が後に、人前に出ることへの抵抗感のなさ、柔軟な対応力へとつながっていったのではないかと思っている。

     母はいわゆる「教育熱心な親」だったと思う。とくに長兄には厳しく、小・中学校と順調に受験を乗り越え私立高校に進んだのだが、大学受験では思うような結果を出せなかった。それが母には大きな衝撃だったのだろう。その影響もあり、当時はまだ珍しかった中学受験向けの塾に通い、中学受験に挑戦した。しかし、本命も含めて全部落ちたが、それでも母の私立志向は変わらず、当時創立3年目だった桐蔭学園中学校に入学することになったのである。

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