「不整合」からの逆転劇——巻き込みのリーダーシッ...
SHARE
#08両国から青山・原宿へ——生活者の「兆し」に迫るリアル・マーケティング
岩田 彰一郎 2026/10/08
ライオンの本社があった当時の両国で仕事に没頭しながら、私は強い危機感を抱いていました。「このままオフィスに引きこもり、従来通りの『エメロン』シャンプーの延長線上で物を作っていて本当にいいのだろうか。世の中のおしゃれや価値観は、もっとずっと先へ進んでいるのではないか」と。
当時の日用品業界では、大規模な定量調査を実施し、その平均値をもとに万人受けする「オールドマス」向けの商品を作ることが常識とされていました。大量生産・大量販売の時代にはそれが正解だったかもしれません。しかし、私の周りにいた感度の高い若者たちは、そうした従来のマス商品に対して「ダサい」と冷ややかな視線を送っていたのです。
巨大な市場の陰で、確実に新しい価値観を持った層——いわば「ネオマス」と呼ぶべき新しい消費者の潮流が生まれていました。後追いのお仕着せのマーケット分析ではなく、まだ顕在化していない変化の「兆し」をいかに早く捉えるか。それこそが、マーケターとして最も重要な姿勢であるはずです。
「両国を出て、街へ行こう」
そう社内に呼びかけた私は、感度の高い若者が集まる原宿のラフォーレや青山、表参道へと自ら足を運ぶようになりました。業務の指示を受けて動いたわけではありません。自分自身の「内なる声」に向き合った時、既存のメーカーのやり方では絶対に捉えきれない生活者のリアルがそこにあると直感したからです。
流行の源流にいる人々を追うため、ファッション誌が追いかける、源流にいるモデルや女子大生たちの実態に徹底的に迫りました。時には数千枚の写真から時代の先端を行く読者モデルを探し出し、実際に会って話を聞きました。また、当時の若い女性たちが1時間も2時間もかけて丁寧に行う「ヘアメイク」の様子を固定カメラで撮影し、髪を洗って乾かすだけではない、彼女たちにとっての髪の毛の切実な意味をデータ化していきました。
集めた生々しい映像を伝えるため、当時はまだ巨大だったテレビモニターとビデオデッキを台車に載せ、「100回プレゼン」と称して社内中を何度も回りました。大きな市場データばかりを見る上層部や開発陣に対し、「いま現場で起きている本当の生活者の姿を見てほしい」と、粘り強く訴え続けたのです。
最初は冷ややかだった社内の雰囲気も、熱意をもって足で集めたリアリティを提示し続けるうちに、少しずつ変わり始めました。そうして、「もう分かったから、お前の好きなようにやってみろ」と、信頼と権限を勝ち取るに至ったのです。
こうして30歳でシャンプーの新ブランド「フリー&フリー」のプロジェクトマネージャーを務めることとなりました。その開発では、従来の社内慣行を打破してフランス人デザイナーを起用し、妥協のない商品づくりを貫きました。ちなみに、のちに資生堂の社長となる後輩の魚谷雅彦さんは、留学の渡航先で社内報を通じてこのプロジェクトを知り、帰国後に訪ねてきてくれて以来、今に至る深い親交が続いています。
意思決定とは、単に社内の偉い人が下すものではありません。お客様、そして時代の最前線にいる生活者の中にこそ答えがある。オフィスを飛び出し、現場で目撃した「兆し」に徹底的に向き合うというライオン時代のこの原体験は、のちにアスクルにおいて「お客様の声」を軸にビジネスモデルを構築していく上での、揺るぎない基盤となったのです。


