
「今ならお得」に騙される?行動経済学で解く購買心...
7/22(火)
2025年
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ノウンズ編集部 2025/07/22
こめかみがズキッと脈打つ。会議開始まで、あと十数分。急いで最寄りの店に駆け込み、お薬の棚の前に立つ。その瞬間、成分表も価格も視界には入らない。最初に思い浮かんだ一つの商品名、それを手に取ってすぐレジに向かう。
この数秒で決まる購買行動は、合理的な比較検討の結果ではない。それは、生活者の頭の中に深く刻まれた「記憶」によるものだ。
では、その記憶は、いつ、どのように呼び起こされるのか。 その引き金となるのが、マーケティングにおける最重要概念の一つ、カテゴリー・エントリー・ポイント(CEP)である。CEPとは、生活者が「風邪をひいたかも」「小腹が空いた」と感じたり、「仕事で疲れたな」と思ったりした瞬間に、特定のカテゴリーやブランドを思い出す「入口(エントリー・ポイント)」のことだ。
例えば「小腹が空いたら」と聞いてカロリーメイトを思い浮かべるように、「〇〇のときは、このブランド」という記憶のショートカットが、生活者の頭の中にどれだけ多く、そして強く張り巡らされているか。最終的な購買を動かすのは、莫大な広告量や値引きといった力技だけではない。この無数の「記憶の入口」を制するブランドこそが、真の勝者となるのだ。
だが、もしその「入口」を巡る戦いで、マーケターが陥りがちな「大きな罠」があるとしたらどうだろうか。
本稿では、解熱鎮痛薬市場の消費者意識データを用いて、第一想起のメカニズムに迫る。そして、多くの企業が資源を投下する「最大の市場」が、必ずしも「最も勝算の高い戦場」ではないという、直感に反する事実を明らかにする。なぜ、市場規模で劣るニッチなシーンが、巨大市場よりも有望な機会となり得るのか。その答えは、データの中に隠されている。
第一想起がブランドにもたらす力は、何も解熱鎮痛薬のマーケットに限らない。その影響力の大きさを、より日常的なカテゴリーで体感するために、少し寄り道をしてポテトチップス市場を覗いてみよう。誰もが知るトップブランドと、個性的なCMでも知られるブランド。両者の購買ファネルを比較すると、そこには私たちが想像する以上に大きな差が存在する。図1が示すデータは、その厳然たる事実を浮き彫りにする。
図1:ポテトチップスブランド購買ファネル比較(Knowns消費者リサーチより)
第一想起の強さは、購入意向を実際の購買へ転換させる確率に直結する。例えば、ポテトチップス市場のトップブランドであるカルビーポテトチップスは、購入意向89.0%に対し、現在購入は73.8%と、転換率は82.9%に達する。一方、わさビーフでは、購入意向44.7%に対し、現在購入は19.0%と、転換率は42.5%にとどまる。ここまで大きな差が生まれる理由は、第一想起にある。
カルビーは多くの生活者にとっての第一想起ブランドであるため、棚の前で迷わず選ばれ、高い購買転換率につながっているのだ。この「購買転換率の差」は、カルビーが多くの生活者にとっての第一想起ブランドであることが、棚の前での決定力を左右しているのである。
同様に、第一想起はリピート購買も強く促進する。カルビーポテトチップスの場合、リピート意向は73.0%と高い水準にある。一度「定番」として第一想起ブランドの地位を確立すると、生活の中に定着しやすい。対照的に、わさビーフのリピート意向は18.5%にとどまる。この差もまた、第一想起の有無がブランドの継続的な収益基盤をいかに左右するかを示している。
第一想起ブランドは、価格競争に巻き込まれにくい。生活者が特定のブランドを強く指名するため、多少の価格変動では他社へ乗り換えないからだ。Ehrenberg-Bass Institute for Marketing Scienceのバイロン・シャープらが提唱するように、想起率の高さ(メンタルアベイラビリティ)は、生活者の価格感度を鈍化させる¹。これにより、ブランドは過度な販促コストをかけず、利益率を維持しやすくなる。
これら3つのメリットは、単発の施策よりも、ブランドの長期的な収益改善に貢献する。ここからは、本稿の主題である解熱鎮痛薬の6つのCEPごとに、どのブランドが第一想起を勝ち取り、どう変化したのかを解き明かす。
第一想起の効用を最大化するには、生活者が「その瞬間」にブランドを思い浮かべる仕掛け、すなわちCEPを深く理解することが不可欠だ。改めてCEPとは、生活者が特定のカテゴリーを思い浮かべる「きっかけ」となる、あらゆる状況や思考、感情を指す。本稿で扱う解熱鎮痛薬の場合、このCEPは「頭痛がひどいとき」や「生理痛でつらいとき」といった、生活者が痛みや不調を自覚する瞬間に他ならない。
これは単なる戦略の切り口ではない。クレイトン・クリステンセンが提唱したジョブ理論が「生活者はモノを買うのではなく、片付けたい用事(ジョブ)のために製品を雇う」と説くように²、CEPもまた、生活者の具体的なインサイトを捉える。製品と特定の「瞬間」が強固に結びついたとき、ブランドは真の第一想起を獲得するのだ。
CEPがブランドと強く結びつくほど、想起率が上がり、購買ファネル全体で優位に働く。では、このCEPという考え方を、どのようにブランド戦略へ落とし込めばよいのだろうか。ここでは、そのための実践的な3段階のプロセスを紹介する。
測定・可視化:主要シーンごとに想起率を定点観測し、どの場面で自社が記憶されているかを数値化する。
評価・優先順位付け:想起率や市場規模、競合状況を掛け合わせ、投資対効果が最大化するCEPを絞り込む。
施策設計・検証:選定したCEPに沿って施策を具体化し、実施後も同一指標で効果を測定し、PDCAを回す。
本稿で用いるデータは、私たちノウンズ株式会社が提供するSaaS型消費者データプラットフォーム『Knowns消費者リサーチ』を用いて、2025年7月に実施したインターネット調査(n=509)によるものである。前回調査(同年1月、n=507)と同一の設問・選択肢を用い、半年間の変化を抽出した。
対象: 20〜50代女性(生理痛に関するCEPを含むため、女性に限定)
主な設問
Q.市販の解熱鎮痛薬を最も経験するシーンはどれですか?
Q.(各シーンで)最も思い浮かぶブランドはどれですか?
なお、各CEPの市場規模を推定する上で基礎となる、設問1「最も経験するシーン」の回答結果は以下の通りである(図2)。
図2:解熱鎮痛薬の主な利用シーン(CEP)(Knowns調べ)
以降では、この設計に基づく「現状の勢力図」と「半年前との差分」を順に示し、市場機会を明らかにしていく。
図3に示す7月調査のブランド想起シェアからは、6つの服用シーンごとに、各ブランドの強みや特徴が見て取れる。
図3:CEP別ブランド想起率(Knowns調べ)
全体として、ロキソニンSが5つのシーンで首位を獲得し、その強さが際立つ。特に「歯痛などの局所痛」では39%と圧倒的な第一想起を得ている。
一方で、各ブランドが得意なシーンを確実に押さえている点も興味深い。「生理痛」ではロキソニンSとイブAが拮抗し、女性向け訴求に特化したブランドが強みを見せる。また「予防接種後の発熱」ではカロナールが27%でトップに躍り出ており、成分のシンプルさや胃への負担軽減が、生活者の安心感につながり想起を促したと考えられる。
このように、ブランド想起の強さはシーンによって明確に異なる。次節では、これらの想起率を半年前のデータと比較し、各CEPにおけるブランドの想起シェアがどう変化したかを検証する。
図4の差分を見ると、この半年で生活者の頭の中におけるブランド想起の勢力図に明確な変化が表れている。
図4:ブランド想起率の半年前との比較
解熱鎮痛薬の二大市場である「頭痛」「生理痛」に目を向けると、寡占化の動きが見て取れる。「頭痛」シーンでは、ロキソニンSとイブAが共に想起率を4pt伸ばし、3位以下を大きく引き離した。また「生理痛」シーンでも、イブAが3pt、ロキソニンSが4ptと、この二強がさらにシェアを伸ばしている。これは、両ブランドがTVCM等の大規模な投資を通じて、主要な戦場でその地位をさらに盤石なものにしていることを示している。
一方で、全く異なる戦い方で大きな成功を収めているのがカロナールだ。「予防接種後」という特定のCEPにおいて、想起率を8ptも伸ばし、2位以下に圧倒的な差をつけた。2025年7月という調査時点を考えると、これは単にワクチン接種の記憶だけによるものではないだろう。むしろ、コロナ禍を通じて「カロナール=病院で処方される、信頼できる薬」という強力なブランドイメージが生活者に深く浸透した結果と見るべきだ。特に、調査時期が夏に移行したことで、子どもを中心に流行する高熱を伴う夏風邪など、「急な発熱に、まず安全な薬を」と考える母親層からの強い支持を集めた可能性が考えられる。カロナールは「安心感」という絶対的な価値で、特定のCEPにおける生活者の第一想起を確固たるものにした見事な事例と言える。
この市場の変化の中で、最も厳しい状況に立たされているのがバファリンだ。「歯痛」で-6pt、「生理痛」で-2pt、「重要な予定前」で-6ptと、複数の主要な戦場で生活者の記憶から後退している。これは、ブランド全体としてのメッセージが分散し、各CEPで専門性を打ち出す競合にシェアを奪われている可能性を示唆する。バファリンは今、全方位で戦うことをやめ、資源を集中させるべき戦場を選ぶという、戦略的な岐路に立たされている。
ここまでの分析で、市場がダイナミックに動いていることは理解できた。しかし、現場のマーケターにとって本当に知りたいのは「では、次に何をすべきか」という問いへの答えだろう。すべてのCEPを追いかけるのは、限られた予算の中では非現実的だ。重要なのは、自社が「勝てる戦場」を見極め、そこに資源を集中投下することに他ならない。
そこで必要になるのが、データに基づいた論理的な羅針盤だ。単に市場規模が大きいという理由だけでターゲットを決めるのではなく、「市場の大きさ」「自社の現在地」「競合の強さ」を総合的に評価し、最も投資効率の高い領域を特定する。そのための有効なアプローチが、ここで紹介する「機会スコア」を用いた優先順位付けである。この考え方に基づき、ノーシンを例に具体的なロジックを見ていこう。
このスコアは、大きく3つの要素の掛け算で成り立っている。第1に、そのCEPを経験する人がどれだけいるかという「市場の大きさ」。第2に、その市場の中で自社がどれだけ想起されているかという「自社の現在地」。そして最後に、競合がどれだけ強く、参入の余地がどれだけあるかを示す「市場の攻略のしやすさ」だ。この3つを掛け合わせることで、単なる市場規模だけでは見えない、戦略的に有望な市場機会を浮き彫りにすることができる。
CEP人口:「市場の大きさ」に相当。20〜59歳女性人口(約2,300万人)に対し、調査設問1で聴取した各シーンの経験率を掛けて算出した、そのCEPを経験する推定人数。
自社想起シェア:「自社の現在地」に相当。ノーシンの7月調査における各CEPでの想起シェア。
1 − 競争の激しさ:「市場の攻略のしやすさ」に相当する指標。ここで用いる「競争の激しさ」とは、2位ブランドの想起率を1位ブランドの想起率で割った値(Top2 ÷ Top1)で算出する。この比率が高い(例えば0.8)ほど、1位と2位が激しく競り合っていることを意味する。逆に、この比率が低い(例えば0.2)ほど、1位が独走し、2位以下のブランドが大きく引き離されている状態を示す。 今回の計算式では、この「競争の激しさ」を1から引いている。これは、「2位ブランドが弱い(=競争が激しくない)市場ほど、3位以下のブランドが2位の座を狙うチャンスが大きい」という考え方に基づいている。つまり「1 − 競争の激しさ」が高いほど、挑戦者にとっての「市場の余白」が大きく、攻略の余地があると判断する。
この計算により得られたノーシンの機会スコアは以下の通りとなる。
歯痛:693万人 × 6% × (1−0.41) ≒ 24.5万
頭痛:1,569万人 × 5% × (1−0.69) ≒ 24.3万
急な高熱:943万人 × 4% × (1−0.67) ≒ 12.4万
重要な予定前:421万人 × 8% × (1−0.68) ≒ 10.8万
生理痛:1,134万人 × 5% × (1−0.83) ≒ 9.6万
予防接種後:277万人 × 5% × (1−0.89) ≒ 1.5万
このスコアを読み解くと、ノーシンにとっての興味深い戦略の方向性が見えてくる。一見すると、最も経験者が多い「頭痛」(CEP人口 約1,569万人)が最大の市場に思える。しかし、スコア上では「歯痛」がわずかに上回り、トップの機会スコアとなっている。
「頭痛」市場は、ロキソニンSとイブAという二大巨頭が支配を強める、競争の激しいレッドオーシャンだ。一方で「歯痛」市場は、トップのロキソニンSは強いものの、2位のバファリンが-6ptと大きくシェアを落とし、守りが手薄になっている。つまり、ノーシンにとっては、巨人と正面から戦うのではなく、弱った競合からシェアを奪うという、現実的で勝算の高い「狙い目」が「歯痛」市場なのだ。
なお、本稿で提示したスコアリングは、戦略の方向性を見出すための汎用的なモデルである。実務においては、この分析を起点とし、さらに解像度を高めていくことが望ましい。例えば、世代や居住エリア別のセグメント分析や、自社の配荷率(フィジカルアベイラビリティ)、ブランドエクイティといった変数を加えることで、より精度の高い戦略立案が可能になるだろう。また、本分析はあくまでデータから相関関係を示唆するものであり、因果関係の証明にはA/Bテスト等の更なる検証が求められる。
ここまでの分析を、ぜひご自身のブランドに置き換えて考えてみてほしい。
あなたのブランドが戦うべき「痛み(CEP)」を5つ書き出せるか?
その中で、最も巨大な市場はどこか? (CEP人口)
その市場で、あなたのブランドは今、何番手か? (自社想起シェア)
その市場のガリバー(1位ブランド)は誰で、2位との差はどれくらいか? (競争の激しさ)
この4つの問いに答えるだけで、あなたのブランドが次に狙うべき「勝てる戦場」の輪郭が、きっと見えてくるはずだ。
鋭い読者の中には、こう考える方もいるかもしれない。「本当に小規模ブランドが、圧倒的な広告費を持つ大手に勝てるのか」「そもそもCEP戦略は、あらゆる課題を解決する万能薬なのか」と。
結論から言えば、CEP戦略はすべてを解決してくれる「魔法の杖」ではない。しかし、リソースの限られたブランドが巨人に立ち向かうための、極めて有効な「手段」である。重要なのは、真正面から殴り合うのではなく、戦う場所を選ぶことだ。大手ブランドがその圧倒的な資金力で「頭痛」「生理痛」といった主要なCEPを広く押さえているとすれば、挑戦者は彼らの守りが手薄な、よりニッチなCEP、例えば今回の分析で浮かび上がった「歯痛」のような領域に資源を集中させる。一つのCEPで確固たる地位を築くことができれば、そこを足がかりに、次の市場へと展開していく道筋も見えてくる。
もちろん、この戦略が機能するには、優れた製品、適切な価格、そして生活者がそれを手に取れる物理的な販路(フィジカルアベイラビリティ)が不可欠である。CEP戦略は、これらの基本的なマーケティング活動を無視して成果が出る魔法の杖ではない。しかし、この考え方は挑戦者だけのものではない。王者ロキソニンにとっては、自社の牙城であるCEPを特定し、そこを死守するための防衛戦略の指針となる。一方、シェアを落としたバファリンにとっては、どのCEPを「戦略的撤退」の対象とし、どのCEPで反撃の狼煙(のろし)を上げるか、その痛みを伴う意思決定を下すための客観的な判断材料となり得る。CEP分析とは、自社の活動を「どの瞬間に」「誰に向けて」集中させるべきか、その方向性を指し示す強力な羅針盤なのである。
冒頭で描いた、こめかみが脈打つあの瞬間。生活者は、論理ではなく、ほとんど本能で薬を手に取る。ならば、マーケターの仕事とは、その本能的な選択肢の筆頭に、自社ブランドを置いてあげることに他ならない。今回紹介した「定点調査 → 差分分析 → 優先CEP選定」というフレームワークは、そのための極めて有効な羅針盤だ。まずは自社の製品カテゴリーで、生活者が手を伸ばす「瞬間」を5つ、書き出すことから始めてみてほしい。その小さな一歩が、ブランドの持続的な成長への確かな道筋となるはずだ。
さらに、このCEP分析の視点は、今回取り上げた6つのシーン以外にも、新たな市場機会、いわば「ホワイトスペース」を発見するための強力なレンズとなる。例えば、多くの生活者が日常的に悩まされている「肩こり痛」や「関節痛」といった領域を考えてみてほしい。これらは発生頻度が高いにもかかわらず、「この痛みなら、このブランド」という強力な第一想起が確立されていない、未開拓の市場である可能性を秘めている。こうした未開拓のCEPを見つけ出し、いち早く自社ブランドと結びつけることも、重要な成長戦略となるだろう。
痛みは待ってくれない。だからこそ、定点調査と戦うべきCEPの選択が、ブランドの勝敗を決めるのである。
¹ Byron Sharp (2010), How Brands Grow: What Marketers Don't Know, Oxford University Press. (邦訳: バイロン・シャープ著、加藤巧監訳、前平謙二訳『ブランディングの科学―誰も知らないマーケティングの法則11』朝日新聞出版、2018年)
² Clayton M. Christensen, Taddy Hall, Karen Dillon, David S. Duncan (2016), Competing Against Luck: The Story of Innovation and Customer Choice, Harper Business. (邦訳: クレイトン・クリステンセン他著、依田光江訳『ジョブ理論―イノベーションを予測可能にする消費のメカニズム』ハーパーコリンズ・ジャパン、2017年)