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2025

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    なぜ人間の赤ちゃんだけ“無力”なのか?──進化が選んだ不思議な戦略「生理的早産」

    なぜ人間の赤ちゃんだけ“無力”なのか?──進化が選んだ不思議な戦略「生理的早産」

    例えば、馬の赤ちゃんは生まれてすぐ立ち上がり、数時間後にはお母さんの後を元気に歩いてついていきます。対して人間の赤ちゃんはどうでしょうか?首もすわらず、自分で動くこともできません。寝返りやハイハイを始めるまでにも数か月、そして歩き出すのは生後8カ月から1年ほどかかるのが一般的です。

    この「何もできない期間」には、実は人間の進化の歴史に関わる“意外な理由”が隠されています。

    人間が持つ「生理的早産」という特徴

    「生理的早産」とは?

    生理的早産――この言葉を聞いたことがあるでしょうか。これはスイスの生物学者アドルフ・ポルトマンが提唱した、人間特有の現象です。

    ポルトマンは、哺乳類や鳥類の赤ちゃんが生まれた直後の成熟度によって「離巣性」と「就巣性」に分けました。

    • 離巣性:生まれてすぐに自力で動ける(馬や牛、ヒヨコなど)
    • 就巣性:生まれても未熟で、親の世話が必要(犬や猫、ツバメなど)
       

    人間の赤ちゃんはどうでしょうか?感覚器(視覚・聴覚)はすでにある程度働いており、そこだけ見ると離巣性の特徴ですが、運動能力は極めて未熟であり就巣性の特徴もあります。つまり、離巣性と就巣性のどちらにも完全には当てはまらない、「二次的就巣性」 (“途中で巣立つ”でも“完全に巣にとどまる”でもない中間的な存在)とも呼ばれる独特のポジションにいます。

    ポルトマンは、人間の赤ちゃんが「本来ならば胎内にもう一年ほどとどまって成熟するべきだったのではないか」との仮説を立てました。実際、人が歩き始めるまでの期間を妊娠期間に加算すると、馬など他の哺乳類と同じくらいの成熟度になるのです。

    具体的な数字で見る「人間の特異性」

    ここまで「生理的早産」の特徴を説明してきましたが、実際どれほど特異なのかはイメージしにくいかもしれません。そこで、他の動物と具体的に比べてみましょう。

    • 平均寿命:25~30年
    • 妊娠期間:約12か月(寿命比3.3~4.0%)
    • 歩けるようになる時期:生まれた当日

    イヌ

    • 平均寿命:12~14年
    • 妊娠期間:約2か月(寿命比1.2~1.4%)
    • 歩けるようになる時期:生後2~3週

    ヒト

    • 平均寿命:80~90年
    • 妊娠期間:約9.5か月(寿命比0.9~1.0%)
    • 歩けるようになる時期:生後8~10か月
       

    こうして比較してみると、人間の赤ちゃんがいかに“未完成”のまま、寿命に対して早く生まれてくるかがよく分かります。

    なぜそんなに早く生まれてくる必要があったのか?

    二足歩行と大きな脳――進化のジレンマ

    人間は直立二足歩行を始めたことで、骨盤が狭くなり、産道も小さくなりました。その一方で、大脳はどんどん大型化し、頭のサイズが大きくなっていったのです。仮に胎内で十分に脳を成長させてしまうと、出産時に母体も赤ちゃんも命の危険にさらされてしまいます。

    この「骨盤の狭さ」と「脳の大きさ」を解決するために、人間は“未成熟な状態”で赤ちゃんを外に出す、「生理的早産」という戦略を選びました。

    つまり、人間の赤ちゃんは「まだ外の世界で自立できないタイミング」で生まれてくることが、生物としての宿命なのです。

    「弱者体験」が人間に与えるギフト

    できないからこそ、脳が発達する

    生後すぐには何もできない――この「弱者体験」が、実は人間の脳の発達に大きく貢献しています。胎内で守られていた赤ちゃんは、誕生と同時に視覚・聴覚・触覚など新しい刺激を受けることになります。この外部からの刺激が、急速な脳の発達を促すのです。

    実際、誕生時に約400グラムだった脳は、1歳を迎えるころには約1,000グラムにまで成長します。もしも胎内にとどまっていたら、ここまで急激な発達は見込めなかったでしょう。

    共同注視――他者との関係性を築く力

    また、人間の赤ちゃんは自分で動けないため、養育者からの視線や働きかけに強く反応します。生後3か月頃から「共同注視」と呼ばれる、親や周りの人と同じものを見て関心を向けるようになります。これによって、言葉やコミュニケーションの基礎が育まれるのです。

    もし生まれた時点で自立して歩けるほど成熟していたら、親と密着した関係や共同注視による学習は生まれなかったかもしれません。

    「期待」と「信頼」――人間の社会性の源泉

    赤ちゃんは、何もできずに大人を頼るしかありません。しかし、その「受け身の期間」は、ただ無力に過ごすだけではありません。

    たとえば、赤ちゃんが泣くことで周囲に「助けて」と訴える姿は、野生の世界ならば危険ですが、人間社会では守られるべき存在として扱われます。赤ちゃんは自分で危機を回避できない状況を知り、本能的に周囲の大人にサインを送ります。これが、親子の絆や信頼関係につながる第一歩となるのです。

    心理学者エリクソンも「乳児期の最大の課題は“信頼”の獲得である」と述べています。つまり、生理的早産による“弱者体験”こそが、人間の社会性や信頼、期待といった豊かな感情の土台になっているのです。

    「生理的早産」がもたらす、もう一つの進化

    社会や文化から“学び続ける”人間

    人間は、生まれてすぐには何もできませんが、「生まれた後に環境や社会から多くを学ぶ機会」が与えられているとも言えます。

    ポルトマンは「人間は常に社会や環境に“開かれて”いる特別な存在である」と述べています。つまり、未熟なまま外の世界に送り出されることで、人間は柔軟に、文化や知識、価値観を吸収し、自分自身を育てていく力を持つのです。

    まとめ:弱さが強さになる、不思議な進化の物語

    人間の赤ちゃんがすぐに歩けないのは、「生理的早産」という進化上の戦略によるものです。二足歩行で骨盤が狭くなった一方で脳が大きく発達したため、未熟な状態で生まれることが母体と子どもを守る最適な解決策となりました。

    この“弱いまま生まれる”という特性は、外の世界からの刺激を受けて脳が急速に発達し、親との関わりの中で信頼や社会性が育まれる重要な土台になります。また、他者との関わりや環境から多くを学べる未熟さこそが、人間の文化や価値観、精神的な成長を可能にしてきました。こうした進化上の選択が重なり、人間特有の豊かな社会性や「人間らしさ」が形づくられてきたのです。

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