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決闘罪とは何か。合意のケンカはなぜ罪になるのか
ビジョナリー編集部 2026/01/23
2026年1月、東京都内で出会った男性同士が、殴り合いとなった末に死傷者が出たこの事件は、警察が傷害致死容疑で捜査を進める一方、思いがけない論点を浮かび上がらせました。
それが、『決闘罪』という、ほとんど耳にすることのない罪名です。
実は、1889年(明治22年)に制定された特別法「決闘罪ニ関スル件」が、現在もなお有効な形で存在しています。130年以上前に作られた法律が、2026年の事件と結び付けて語られる――この事実自体が、多くの人にとって驚きだったのではないでしょうか。
「合意があればケンカしていい」は通用しない
多くの人が直感的に抱くのは、「当事者同士が納得しているなら問題ないのではないか」という感覚でしょう。「自己責任」という言葉が、私たちの意識のどこかに染み付いています。
しかし、日本の刑法体系はこの感覚を明確に否定します。暴力は、合意によって正当化されるものではありません。
その象徴が決闘罪です。決闘罪が想定するのは、偶発的な衝突ではなく、互いに闘う意思を持ち、合意のもとで身体や生命に危害を加える行為です。これは理念的な禁止ではなく、実際に刑罰が科される犯罪でもあります。
決闘を挑んだり応じたりした段階から処罰の対象となり、実際に行えば数年単位の拘禁刑が規定されています。合意のある決闘(殴り合い等の暴行)は、場合によっては前科が付く行為なのです。
決闘罪は明治時代の特別法
決闘罪は、厳密には刑法に規定されている犯罪ではありません。1889年(明治22年)に制定された「決闘罪ニ関スル件」という特別法に規定されています。
この法律は、決闘を挑んだ者や応じた者だけでなく、立会人や場所を提供した者まで処罰の対象としています。決闘を「当事者間の問題」とは見なさず、社会全体に悪影響を及ぼす行為として位置づけている点が特徴です。
制定当時、日本は近代国家として「法による秩序」を確立する途上にありました。名誉や感情を理由に私的な力で決着をつける文化を排する思想は、130年以上経った今も変わっていません。
暴行罪との違いはどこにあるのか
決闘罪と混同されやすいのが暴行罪です。暴行罪は、相手に対して有形力を行使すれば成立します。
一方、決闘罪は行為そのものよりも、前提となる合意と計画性が重視されます。偶発的な殴打は暴行罪として処理されることが多い一方、日時や場所を決めて殴り合えば、「決闘」とみなされる余地が生まれます。
傷害罪・傷害致死罪との関係
今回の事件のように、結果として重い被害が生じた場合、傷害罪や傷害致死罪が主要な罪名として問題になります。決闘罪があるからといって、結果責任が免除されるわけではありません。
むしろ、決闘という違法な行為の延長線上で重大な結果が生じたと評価され、刑事責任はより重く問われます。
なぜ格闘技は許されるのか
では、なぜボクシングなどの格闘技は許されているのでしょうか。結論から言えば、格闘技は法律上『ケンカ』や『決闘』とは別の行為として扱われているからです。
刑法には、「正当な業務による行為は違法とならない」という考え方があります。格闘技は、単なる殴り合いではなく、社会的に承認されたスポーツ・興行としての業務性を持っています。
さらに重要なのは、厳格な管理体制です。明確なルール、反則の規定、レフェリーによる即時停止権限、医師の立ち会い、危険があれば中止される仕組み――こうした制度が、命の危険性を最小限に抑える形で組み込まれています。
目的も異なります。決闘やケンカは、感情の発散や私的な決着が目的です。一方、競技は勝敗を競うものであり、相手を傷つけること自体が目的ではありません。
つまり、格闘技が許されている理由は「合意があるから」ではなく、社会的承認・管理・公共性という三つの条件を満たしているからなのです。もしこれらの条件を欠いた「非公式試合」や路上での殴り合いが行われれば、それは格闘技ではなく、暴行や決闘として違法になります。
判例件数が少ない理由と現代的な意味
決闘罪は、実務上ほとんど適用されない罪名です。戦後の刑事実務では、多くのケースが暴行罪や傷害罪として処理されてきました。そのため、「死文化した法律」と言われることもあります。
しかし、検察統計などを見ると、決闘罪として受理された事案が確認された時期もあり、完全に過去のものではありません。SNSによって事前合意や呼び出しの証拠が可視化されやすくなった現代では、再び注目される場面が増えています。
明治の法律が現代に投げかける問い
決闘罪が今も有効である理由は、実はとても明快です。それは、暴力を私的な問題解決の手段にさせないという、明確な意思がそこにあるからです。たとえ合意があっても、素手であっても、一対一であっても。
感情のもつれを力で解決しようとした瞬間、法ははっきりと「NO」を突きつけます。
130年以上前に制定されたこの法律が、2026年の事件を通じて改めて注目されたのは、決して偶然ではありません。「合意があるから大丈夫」という思い込みこそが、最も危うい発想なのです。


