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2025

    執行役員と立川店店長時代 ――店舗から学ぶ経営

    #14執行役員と立川店店長時代 ――店舗から学ぶ経営

    原石からダイヤへ

     メンズ館のリモデルを通じて、私は武藤社長から覚悟の重みを学んだ。

     やりたいことを貫くには、責任が伴う。それが覚悟ということだ。そして共に覚悟を決めて、切磋琢磨した仲間は何人もいたが、その中でも、バイヤーたちの仕入れに対する真摯な姿勢は際立っていた。

    「良い買い付けをして、超一流の売場を作る」という覚悟がみなぎっていた。メンズ館の社員は当時300人にものぼったが、社員たちの一体感には強烈なものがあった。というのも、婦人部門が中心だった時代背景もあり、「紳士部門も存在感を示したい」という情熱が、スタッフ一人ひとりに宿っていたように思う。

     その後、執行役員に就任し、経営企画の任を担った。社長直下のポジションで、経営会議の事務局を務めた。つまりは、毎日あの厳しい武藤社長のところに行かなければならないということだ。そして実際に、熾烈な日々を送ることとなった。

     会議が終わると毎回、武藤社長からとある紙が回ってきた。そこには、役員の名前とともに、〇×△と記入されている。その会議における、出席者一人ひとりに対する武藤社長の評価というわけである。

     最初はどんな基準で評価をしているのか分からなかったが、毎週紙を貰い、自分でリストをまとめていくうちに、だんだんと理解ができるようになった。

     たとえ社長から反対されようとも、自分の意見をきちんと述べた役員には〇がつけられていた。一方で、役員会で何も発言をしなかったり、人の意見に便乗するだけの役員には×がつけられていた。

     静かにしていることが安全策ではなく、関与しない姿勢として見られていたことがよくわかった。

     私自身、のちに経営者として歩む中で、正しいか否かに関わらず、自分の意見をはっきりと述べる人物を登用してきた。これは、のちの回で詳しく触れようと思う。

     経営企画としての経験を積んで1年後、店長への異動を打診された。「今後のキャリアを考えるなら店長を経験するべきだ」と言われたのだ。当時立川店の店長が、婦人部門の責任者である婦人統括部長に任じられ、異動となった。そのタイミングで、私が後任として立川店長を拝命することになったのである。

     同時に、伊勢丹と三越の統合準備委員会にも加わり、2年間経営統合の実務にも携わった。

     現場と本部、双方の視点から運営を学ぶ貴重な時間となった。

     今振り返ると、この頃が自分にとってもっとも楽しかった時期だと思う。

     店長とはいわば、その店の中では全決裁権をもち、社長のような存在になる。現場に根差した新たな挑戦が可能になるのだ。

     立川支店の売上は400億円を超え、メンズ館の利益と同じぐらいであった。

     店舗で働くスタッフ一人ひとりの名前を覚え、信頼関係の構築を大切にしながら、日々の接客や売場づくりに細やかに目を配った。現場に足を運び、接客の在り方を自ら伝え、売上向上に向けた施策を日々実行していった。

     立川店長としての任を2年間全うし、その後、三越との業務提携に伴い、マーチャンダイジング統括部長として三越に出向することとなった。

     このとき、私は51歳を迎えていた。

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