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2025

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    ご挨拶 ~執筆にあたって~

    #01ご挨拶 ~執筆にあたって~

    原石からダイヤへ

     株式会社ビームスの設楽洋と申します。このたび、株式会社ジムの八木原会長からご紹介いただき、ダイヤモンド・ビジョナリーに連載させていただくご縁を賜りました。

     八木原さんは、原宿という地域の主のような方で、私の人生の大先輩であります。1976年、ビームスが原宿にオープンするよりもずっと前、高校、大学の頃からこの町にはよく訪れていました。その頃は、まだ原宿にほとんどお店がなかった時代です。セントラルアパートにレオンという喫茶店があったり、のちのDCブランドのスタート時の、マドモアゼルノンノンのとても小さなお店があったりしました。そこに、アポロという八木原さんが経営されているお店もありました。もちろん、当時はまだ八木原さんのことは存じ上げませんでした。

     そのアポロをはじめ、八木原さんは本当に先見の明をもたれた方でいらっしゃるな、と感じています。原宿という街に着目し、そこでお店をスタートさせる。当時はラフォーレも何もなかった時代でしたから、本当に「早い」という印象が非常に強いです。

     これは八木原さんも連載の中でお話しされたかと思いますが、僕と八木原さんのご縁は、僕の両親から始まっています。ビームスがオープンする頃、僕の両親がアメリカに視察へ行った際、偶然にも八木原さんと同じツアーとなり、そこで出会いました。そして、たしかナイアガラの滝などをともに見て回るときに、父は面倒くさいなどと言って行かず、僕の母と八木原さんが一緒に見てきたのだそうです。

     「それが、のちのビームスの設楽悦三・恭子夫妻だった」というお話は、当時からものすごく「縁を感じる」と八木原さんもおっしゃっています。その後、僕がビームスに戻ってきた際にもすごく可愛がっていただきました。

     八木原さんは、原宿の創生期をよく知っていらっしゃる方ですし、ファッションのファの字も知らない親子――父もそうですし、僕も興味はありましたが、詳しくは分からない、そうした我われが、ものづくりや店舗経営といったことを実際にやられている方とご縁できたことは、ものすごく有り難いことだったと思っています。

     そのような御恩もあって、現在ビームスの本社は原宿でやらせていただいています。もともと創業の地は、僕が生まれ育った新宿で、父もそこでスタートしたのですが、八木原さんから幾度も誘っていただいて、応援いただきこの決断をしました。

     僕は、何よりも人と人とのご縁を大切にしたいと思いやってきました。幼いころは父の会社の社員の方々と同じ家でともに過ごし、可愛がっていただいたことを覚えています。そんなこともあってか、今も社員のことは「ファミリー」とよく言っており、社員に対する愛情は、人一倍強いのではないかなと思っています。

     この連載では、僕がどのような方々とのご縁に恵まれ、どのような考え方で経営をしているのかをお話ししていき、少しでもこれからの社会を担っていかれる若い青年たちに伝わるものがあればと願っています。

    #ビームス#BEAMS#設楽洋#タラちゃん#経営#ファッション業界
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