大スターへお願いしたたった一つのこと
SHARE
#11板画家・棟方志功氏に学んだ人との付き合い方
三木 明博 2025/10/11
私が入社して間もない頃、板画家の棟方志功(むなかた しこう)さんが文化勲章を受章されたというニュースが飛び込んできました。上司から「インタビューしてこい」と命じられ、鎌倉にあるご自宅兼工房まで、会社の車で向かいました。
工房に着くと、すでに何人もの新聞記者が取材の順番を待っていました。入社1年目の、右も左も分からない若造は私だけです。「この次だから待っていてください」と通され、緊張しながらその時を待ちました。
やがて私の番が来て、初めて棟方志功さんと対面しました。棟方さんは極度の弱視で、分厚い眼鏡をかけていらっしゃいました。「なぜ、この世界に入られたのですか?」とお尋ねすると、ご自身の少年時代の話をしてくださったのです。
「私は見ての通り、小さい頃からとても目が悪くてね。学校の授業にもついていけず、いつも裏山へ行っては、野原で寝転がっていたんです。そうすると、頭上にそれは綺麗な青い空が見える。この美しい青を残したい、描きたい。そう思ったのが、この道に進んだきっかけです」と。
そのお話を、まるで昨日の出来事のように、本当に楽しそうに、少年のような目をして語られるのです。私のような若造の記者に対しても、一切分け隔てなく、一生懸命に。世の中にはこんなにすごい人がいるのかと、衝撃を受けました。
私たちは、相手の地位や名誉、立場や権威によって、無意識に態度を変えてしまいがちです。しかし、棟方さんにはそれが一切ありませんでした。誰に対しても、自分のありのままの言葉で語りかける。先入観で人を見ず、自分の思いを自分の言葉で語れる人間になりたい。あの一度の出会いは、私のその後の人生に大きな影響を与えてくれました。
棟方さんから学んだ「人と人との付き合い方」は、私が制作の仕事をするようになってから、自分自身の指針となりました。
プロデューサーやディレクターになると、今度はレコード会社や芸能事務所から売り込みを受ける立場になります。当時は、各社の若いプロモーターたちが「今月のイチオシです!」とCDを持って、ひっきりなしにやって来ました。しかし、当時の制作現場には、自分の権力を笠に着るような古いタイプの人間もいました。「うるさい、仕事中だ!」と追い返したり、預かったCDを投げ捨てたりする人もいたのです。
私はそういう光景を見るのが本当に嫌でした。彼らはそれが仕事で、一生懸命やっている。そんな彼らを、「人間として下に見るような制作者には絶対になりたくない」と思いました。ですから私は、どんなに忙しくても「今は仕事中だから聴けないけれど、時間ができたら必ず聴くから、そこに置いといて。いつもご苦労様」と、必ず声をかけるようにしていました。
私は、会社の上層部に挨拶に行く人たちよりも、現場で汗を流している若い担当者たちが一番大事だと考えていました。彼らは会社に報告する義務があるんですから。ですから、彼らと食事に行ったり、飲みに連れて行ったりして、なるべく話を聞くように努めました。ちゃんと話を聞いてあげて、次に会った時に「この前の曲、良かったよ」と一言感想を伝えるだけで、彼らは本当に喜んでくれるのです。
もちろん、上の人間からは「言うことを聞かないヤツだ」と思われていたかもしれません。しかし、結果さえ出せば問題ない。私は昔から肩書きには全く興味がありませんでした。これは、あくまで人と人との付き合いです。その代わり、人として許せないと思った時ははっきりと口にします。騙されたり、嘘をつかれたりした時です。
その姿勢は、役職が上がっても変わりませんでした。社長になってからも、社長室には「僕がいる時なら、いつでも来ていいよ」と伝えていました。事前に連絡をくれれば、5分でも10分でも時間を作って顔を出す。それだけで、彼らは「社長に挨拶できた!」と喜んで会社に帰っていくのです。
今でも、そうした若い頃からの付き合いは続いています。時々、「あの時は本当に助かりました」と感謝されることもありますが、私はいつもこう答えます。
「いや、とんでもない。仕事の上では、お互い対等(イーブン)なのだから」
写真提供:一般財団法人棟方志功記念館


