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2025

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    三島事件に遭遇して感じた「運の強さ」

    #07三島事件に遭遇して感じた「運の強さ」

    原石からダイヤへ

    三島事件の後、新聞、週刊誌、テレビ局など、様々なメディアから取材を受けました。数年前にも、有名な制作会社のディレクターからNHKの番組で話してほしいと依頼がありましたが、そうした際、私はいつも一つの条件を提示することにしています。

    「三島がなぜ自決したのか、その理由は本人にしか分かりません。しかし彼は生前、『50年後、あるいは100年後には、自分の行動を理解する人が出てくるかもしれない』と語っていました。もし、彼が命を懸けて訴えたことが今の時代にどう伝わっているのか、というテーマで番組を作るのであればお受けします」。幸い、そのディレクターは「ぜひ、そのテーマでいきましょう」と応じてくれました。

    実は、私と三島由紀夫との接点は、あの事件が初めてではありませんでした。学生運動が盛んだった頃、私は東大の駒場キャンパスで開かれた、三島と学生たちとの討論会に参加していたのです。

    会場は「帰れ!」という野次に包まれ、異様な雰囲気でした。そんな中、三島はたった一人で壇上に現れ、こう切り出しました。「今日ここに来るのは怖かった。しかし、私は自分の信念を君たちに聞いてほしいと思って、勇気を出してここへ出てきた」。学生たちは難解な言葉をぶつけましたが、三島の知性はそれを完全に凌駕していました。いつしか会場は静まり返り、誰もが彼の言葉に耳を傾けるようになっていました。三島は、しまいにはタバコをふかしながら、「君たちが天皇陛下万歳と言えば、僕は今からでも君たちと共闘するよ」と、余裕綽々(しゃくしゃく)で語りかけるほどでした。

    約2時間にわたる討論会が終わった時、私は「すごい人物がいるものだ」と深く感銘を受けました。大学が学生に占拠され、学長や教授たちが逃げ出すような状況で、1,000人近い学生を相手に一歩も引かなかった。この時の様子はTBSだけが撮影しており、後にドキュメンタリー映画にもなっています。

    もう一つ、不思議な縁を感じる話があります。新橋駅前にある有名な鶏料理店が、三島が「最後の晩餐」をした場所として知られています。当時の若女将がある本の取材に応じて語られていたのは、事件前夜、三島は数人と店を訪れ、若い男性たちは非常に緊張した面持ちで三島の話を聞いていたそうです。お帰りの際にその女将が「ぜひまたお越しください」と声をかけると、三島は「うーん、困ったなあ。じゃあ、向こうから食べに来るか」と謎めいた言葉を残して去っていったといいます。翌日に事件を知り、その女将は初めてその言葉の意味を悟ったそうです。

    こうした偶然の接点もあり、あの事件に居合わせたことで、私の人生は大きく変わりました。入社からわずか半年での大スクープ。すると、周囲の上司たちの私を見る目が、「あいつは何か持っているんじゃないか」というものに変わっていきました。もちろん、私がスクープを狙って取材したわけではありません。全ては偶然です。しかし、そうした「場」に出くわすこと自体に、何か意味があるのかもしれません。巡り合わせ、つまり、持って生まれた「運」です。

    ただ、この出来事にはほろ苦い後日談があります。あの日、私と一緒に行動していたSさんは真面目な先輩でした。しかし、世間の注目はなぜか私一人に集まり、彼の存在が語られることはほとんどありませんでした。ご本人も割り切れない思いがあったのでしょう。彼は数年後、会社を辞めてしまいました。もし、あの時バルコニーの下にいたのが私ではなく彼だったら…人生の巡り合わせとは、そういうものなのだと思います。

    かつて松下幸之助が、著書の中でこう語っていたのを読んだことがあります。「私は新人を採る時、運のいいやつを採る。能力に大差はない。運のいい人間にはビジネスチャンスが舞い込んでくる。これは理屈ではない」と。なるほど、「運も実力のうち」とはよく言ったものだと感じ入りました。

    また社長時代、大学での講演でよく「どうすれば社長になれますか?」という質問を受けることがありました。私は決まってこう答えるようにしていました。

    「社長になるには、運が8割、才能と体力がそれぞれ1割だ」――と。

    社長の椅子は一つしかありません。誰か一人がそこに就けば、その同期はもちろん、前後の世代も社長にはなれない。どれだけ能力があっても、引き上げてくれる上司に恵まれなければ道は開けないし、時代の巡り合わせもある。宝くじのような話をしているわけではありませんが、この「運」を持っていなければ、組織のトップに立つことはできないのです。「どうしても社長になりたいなら、自分で会社を興すのが一番早い。組織の中で上を目指すというのは、そういうことだ」と。

    学生たちは皆、ポカーンとした顔をします。しかし、特別な秘訣などあるわけがないのです。私自身、社長になるつもりなど全くありませんでした。全ては結果論に過ぎないのです。

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