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2025

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    異例のごぼう抜き人事

    #14異例のごぼう抜き人事

    原石からダイヤへ

    文化放送に勤めて20年近くが経ちました。正直なところ、当時の私よりも社長の椅子に近い先輩方は、社内に大勢いらっしゃいました。しかしある日、当時の社長だった峰岸慎一さんに突然呼び出され、こう告げられたのです。「今度、営業と編成を統合して放送事業本部という組織を新設する。そこの長を、君がやれ」と。

    営業と編成という、いわば会社の車の両輪を統括する立場です。私は驚いて、「社長、それは実質的に社長の仕事ではありませんか」と申し上げると、峰岸さんは「いいから、君がやれ」とだけおっしゃいました。

    当時、私はまだ42、3歳。社内には何十人もの部長や局長といった先輩方がいる中での、まさに「ごぼう抜き」の大抜擢でした。社長直々の命令です。断れば会社を辞めるしかありません。「引き受けた以上は、やるしかない」と腹を括り、私はその大役を務めることになりました。

    案の定、最初の1年は大変な苦労の連続でした。良い番組を作りたい編成部門と、収益を上げたい営業部門。両者の考えは、ことごとく衝突します。しかし私は、無理に両者を融和させる必要はないと考えていました。

    理想を言えば、双方が手を取り合って進むのが美しいのかもしれません。ですが、むしろ互いの主張を真っ向からぶつけ合うことで、そこに新たなエネルギーが生まれ、結果として良い番組やビジネスが生まれるのではないか。私はそう信じていました。「みんなで手を組んで一緒に頑張りましょう!」などという掛け声だけで、組織は動きません。放送局はスポンサーがいなければ成り立ちませんが、良いコンテンツがなければスポンサーはつきません。一方で、スポンサーはお金を出す以上、番組内容の質に関係しない、様々な要求をしてきます。両者がぶつかるのは、むしろ当たり前なことなのです。

    今振り返ると、峰岸さんは私のそんな気質を面白いと感じ、抜擢してくださったのかもしれません。他の同僚たちが峰岸さんに仲人を頼んだり、正月には必ずご自宅へ挨拶に伺ったりする中、私はそうした付き合いを一切しませんでした。「なぜ行かないんですか?」と聞かれれば、「上司の家に顔を出す暇があったら仕事をする。面倒くさいから」と答えるような人間でした。そもそも、私自身に出世欲がほとんどなかったのです。

    しかし、組織の流れというのは不思議なものです。そうこうするうちに、59歳の時に文化放送の社長に就任することになりました。当時としては、非常に早い昇進でした。

    当然、面白く思わない先輩方が大勢いたことでしょう。ある人からは、こう忠告されました。「君の昇進の陰で、涙を流した人間が何人もいることを忘れるな」と。また、「君が社長になったことで、『あいつが社長になったら、もう俺は終わりだ』と、お前の先輩の誰々さんが、泣いてたよ」という話も耳に入ってきました。

    それらの言葉を聞いても、私は「私が悪いわけではない。仕方がないじゃないか」と、冷静に受け止めるしかありませんでした。非情に聞こえるかもしれませんが、それが組織というものの現実なのだと思います。

    #三木明博#文化放送#radiko#ラジコ#ワイドFM
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