戦略の本質とは「切り捨てる勇気」
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#12「同意見です」は意見ではない――日本の会議に感じる“極めてナンセンス”な現実
浅見 隆 2025/11/12
私が顧問先の日本企業の会議に出席して驚くのは、その討議の仕方です。20人ほどの部長クラスが集まっているにもかかわらず、発表者が行うのは、事前に配布された資料をただ読み上げることだけ。例えば、1番から5番まで書かれた内容を、オウムのようにリピートするのです。
それならば、最初に資料を渡しておけばすむ話です。何の意味もありません。私はそういうとき、はっきりと言います。「その内容は読めば分かります。配られたものと違うことを言うなら別ですが、全く同じことをなぞる会議なら、私が2時間も3時間もここにいる意味がありません」と。
会議という場は、資料に書かれたことをベースに、「これに関して私は反対です」とか「新しい提案があります」といった建設的なディスカッションをするためにあるはずです。しかし、多くの日本企業では、それがなされていません。
外資系企業で徹底されていた討議のルールは、非常にシンプルです。発言してよいのは、(1)ニューオピニオン(新しい意見)、(2)アディショナルオピニオン(追加的な意見)、(3)オブジェクション(反対意見)の3つだけです。
誰かが良い意見を言った後に、「私も同意見です」と続く発言は、何一つ生産していません。言う必要すらないのです。「Aさんの意見に賛成ですが、それに加えてこういう点も必要だと思います」というのが「アディショナルオピニオン」であり、価値ある発言です。
さらに、ディベートの基本として、意見には必ず「エビデンス(根拠)」が必要です。「私はこう思うんですよね」という個人の感想だけでは、何の説得力もありません。「なぜならば、最近の日経新聞でこう報じられている」「ここの大学の教授がこういう論文を出している」といった客観的な根拠があって、初めて意見は力を持ちます。
こうした会議のあり方、討議の仕方を根本から変えていかなければ、強いビジネスマンは育たないでしょう。
私のベースにあるのは、今の日本の経営手法や考え方に対する、ある種の反旗です。「そんなことやっているから日本の国力が伸びないんだ」と。
スイスのIMD(国際経営開発研究所)が発表する『世界競争力ランキング』で、日本は長らく30位前後に低迷しています。1人当たりのGDPも、IT競争力も同様に極めて低い。これは、国という単位だけでなく、その小型版である「会社」が弱体化している証左にほかなりません。学校教育の段階からディベート文化が根付いていないことも、この現状に拍車をかけているのかもしれません。
私の役割は、もはや昔の思い出話を語ることではありません。過去の事実から得た教訓を、これからの若い人たちに「突き刺さるメッセージ」として伝えたいのです。
先日も、27歳の若い経営者と会う機会がありました。東大を中退し、20代前半で起業して、わずか4年で社員300人規模の会社にしたという人物です。彼らは非常にエッジが効いている。日本にはそういう若者たちが確実に育っています。
彼らにこそ、私がアメリカのグローバル企業で経験した数々の失敗と成功、そして修羅場から得たものを伝えたい。それが、今の私の立ち位置であり、使命だと感じています。


