40年の絆――「Honesty」こそ世界に通ずる...
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#10「安穏だからこそ辞める」――温室を飛び出して
植山 周一郎 2025/12/10
ソニーでは、盛田会長と大賀社長に直接可愛がってもらい、周囲からも、私が将来ソニーの幹部の一角へと育てられる、と見られていたと思います。私自身もその自覚がありました。サラリーマンとしては最高の状況です。しかし、私はそのすべてを振り切ってソニーを退職してしまいました。
独立のきっかけは、世界最大の広告代理店であるBBDOとの縁でした。英国ソニー時代からBBDO UKと取引があり、そのルートでBBDOワールドワイドのトップとも交流がありました。私が日本の宣伝部次長をしていた頃、BBDOの社長が日本へ会いに来たのです。当時、BBDOは日本の広告市場との提携に遅れをとっており、私が日本の広告代理店などのルートを紹介すると、社長は大変喜びました。
3日間の滞在最終日、食事をしていたら、BBDO社長は突然切り出しました。「シュウ、お前ソニーを辞めて独立する気はないか。もし独立して自分のコンサルタント会社を作ってくれるなら、BBDOは契約したい」と言うのです。私は「ソニーを気に入っているし、将来も明るいから辞める気はない」と答えましたが、彼は「給料だったらいっぱい出す」と食い下がりました。以前も述べましたが、当時ソニーでもらっていた給与の倍以上の顧問料に加え、さらに旅費・交通費、接待費などの経費が全額支給であったため、合計すると4倍ほどとなる計算でした。これは、独立を後押しする大きな要素でした。
しかし、もう一つ、私の背中を押したのは、父の影響です。父は本州製紙の普通のサラリーマンでしたが、メジャーな大学出身ではなかったため、役員になる道は閉ざされていました。父は口癖のように「サラリーマンなんか面白くない。男はやっぱり独立してやるべきだ」と、しょっちゅう言っていました。この言葉が私の中に、潜在意識として残っていたのだと思います。それがなければ、私はずっとソニーにいたでしょう。こうして、お誘いいただいたとき、潜在的に「独立するチャンスだ」という思いが湧き上がり、私はスパッと辞めることを決意しました。
辞める際は、上司や人事部長をすべて無視し、会長の盛田さんのところへ手ぶらでふらっと行きました。普段は新しいコマーシャルのカセットや新聞広告を持っていく私を見て、盛田さんは私が話を切り出す前にこう言ったのです。「おい、しゅう、お前もしかしてソニー辞めるんか」。
私が「なぜ分かるんですか」と聞くと、「お前の顔に書いてある」と笑われました。「ソニーの中にいたほうが安穏だよ」と引き止められましたが、私は答えました。
「安穏だからこそ辞めます」
「今はソニーという大きなブランドで保護されている温室の中にいますが、それが全部なくなって、植山周一郎という一人の人間で果たしてサバイバルできるかどうか、やってみたいのです」と正直に伝えました。盛田さんは「外に行ったら大変だよ」と再度引き止めてくれましたが、「しばらくやらせてください」と言うと、最終的には「わかった。しばらくやってこい。だめだったら、いつでも戻ってきてもいいよ」と言ってくださいました。
私は感謝を伝え、そして2つのお願いをしました。1つは、BBDOが私の最初の顧客になってくれることが決まっていましたが、ソニーが2番目のお客さんになってほしいということ。「今の給料の5分の1を払ってあげるから、週に1回会いに来い」と、ソニーからの仕事も約束してもらいました。
もう一つは、「健康保険は非常に大事なので、今入っているソニーの健康保険をずっと継続してもらえませんか」というものです。盛田さんは「お前本当に辞めるのか?」と呆れながらも、「まあいいや、何とかしてやろう」と尽力してくれました。
こうして私は、信じられない程円満な形でソニーを退社し、恵まれた状況で独立を果たしたのです。


