「公式は暗記するな、自分で作れ」——本質を射抜く...
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#04「やんちゃ坊主」との遊びが教えてくれた、群れない勇気と自律の精神
日覺 昭廣 2026/06/04
算数や数学の何がそんなに面白かったのかと問われれば、それは「解くことそのものが楽しかったから」に尽きます。そこまで深く突き詰めて考えていたわけではありませんが、理屈が通って答えに辿り着く瞬間の快感は、子供心に何物にも代えがたいものでした。
一方で、学校の先生という存在は、どうしても好きになれませんでした。小学校は全教科を同じ先生が教えますが、どの先生も教科書に書いてあることを何度も話し、決まったやり方を押しつける。予習ですでに内容を理解していた私にとって、その時間は退屈極まりないものでした。
よく勉強ができる子は先生の周りに集まり、気に入られようとするものですが、私はそういう姿を見るのが大嫌いでした。媚を売るような真似はしたくない。だから、付き合う友人はいつも、大人から見れば「出来の悪い、やんちゃな連中」ばかり。池や川へ魚釣りに行ったり、野山を駆け回ったり、彼らと遊んでいる方がよほど肌に合っていました。
そんな私に対して、両親が「能力を伸ばそう」と英才教育を施したわけではありません。ただ、母はさりげなく「きっかけ」を置くのが上手い人でした。当時、私が育った三木の田舎には習い事に行く場所などありませんでした。そこで以前も話したように、母は、自宅に先生を招き、近所の子供たちを集めて「そろばん塾」を始めてしまったのです。
家で塾が始まれば、息子である私もやらないわけにはいきません。結局、小学校5年生頃から本格的に取り組み、6年生の時には1級を取りました。父譲りの暗算の素養に加え、この時期にそろばんで磨いた数字の感覚は、後にエンジニアとしてプラント設計や経営判断を行う際の大きな武器となりました。
家では姉が3人、妹が1人という環境で、私は一人息子として随分とかわいがられて育ちました。姉たちからは「お父さんもお母さんも、お兄ちゃんにだけは甘い」「何でもお兄ちゃんの言う通りだ」とよく妬まれたものです。何をするにも譲ってもらえる、そんな恵まれた立場にありました。
しかし、この「かわいがられる」「怒られない」という環境が、実は私の自律心を最も鍛えてくれたのだと感じています。
親から「あれをしろ、これをしろ」と指示されない以上、自分の中に判断基準を持たなければ、物事は何も前に進みません。後になって思えば、自由にさせてもらったことで、「自分の頭で考えられない人間」にならずに済んだのだと感じています。
自分で考え、自分で試してみる。もし違っていたら、また戻ってやり直す。数学の難問を解くときのように、一歩ずつ自分の力で論理を積み上げていく習慣は、三木ののびのびとした環境と、母が作ってくれた「そろばん塾」のような小さなきっかけ、そして家族の深い信頼の中で、静かに、しかし力強く養われていったのです。


