パイロット断念と「娑婆」への旅立ち——失われた夢...
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#06自衛隊訓練と「超人的な記憶力」——極限状態が授けてくれたビジネスの武器
木村 清 2026/09/06
幼少期から新聞配達や農作業、空き瓶の回収などで家計を助けていた私は、中学時代も多忙を極めていました。部活では野球部、卓球部、陸上部を転々としたものの、最終的には音楽の先生に才能を見出されてピアノに打ち込み、コンクールに出場するまでになりました。大人を相手に仕事をしてきた要領の良さと、知らないことを学ぶ面白さから集中力が高かったためか、勉強する時間があまりない中でも中学3年時の成績は5教科で学年1位でした。
卒業後の進路を決める際、地域一番の進学校である千葉県立東葛飾高校への進学も視野に入っていましたが、我が家には学費や電車通学の定期代を払う余裕はありませんでした。学校側からは「進学する気がないなら、学年2番の生徒に進学枠を譲ってやってくれ」と言われ、高校受験を断念せざるを得ませんでした。
「それなら北海道へ行って牧場で働こうか」と将来を模索していた夏の頃、私を後押ししてくれたのがあの音楽の先生でした。
「木村、いい方法が見つかったぞ。自衛隊なら給料をもらいながら技術も磨けて、パイロットになれるぞ」
3歳の頃、父の葬儀の空に見た「真っ赤な戦闘機F86セイバー」に魅せられて以来、私の夢は一貫して戦闘機パイロットでした(※この「赤いセイバー」の存在は、後年、米太平洋艦隊のハリス元司令官が来訪された際、当時の写真を見せてくださったことで間違いなかったことが証明されました)。先生から手渡された埼玉県熊谷市の「航空自衛隊第4術科学校航空生徒隊」の願書を手に受験し、全国から100人程度しか入れない37倍という超難関を突破して、15歳で入隊を果たしたのです。
しかし、そこで待っていたのは想像を絶する凄惨で過酷な訓練でした。
教官たちは先の大戦の死線をくぐり抜けてきた元軍人。妥協は一切許されません。例えば「2呼称」で行う腕立て伏せは、500回から1,000回連続で命じられます。冬場であっても、激しい汗と熱気で自分の下にある地面の霜が溶けて泥の沼ができるほどです。途中で立ち上がった時に服に泥がついていると、容赦なく全員最初からやり直しさせられました。
1周1.5キロのコースを全力で走るダッシュ訓練も同様です。30分の間に先輩から追い抜かれれば、何度も追加で走らされます。訓練中の水分補給は禁じられており、あまりの過酷さに倒れ込みました。そのとき頭にぶっかけられた掃除用モップのしぼり汁さえ、美味しく感じるほどでした。
しかし、そうした極限状態の中で人間の身体と精神は凄まじい順応を見せました。最初は20回しかできなかった腕立て伏せが全員できるようになり、それまで子供のような体つきだった100人全員が、わずか1カ月で驚くほど引き締まった筋肉質の体躯へと変貌したのです。
何より凄まじかったのは「記憶力」の変化でした。
夜、就寝前に先輩が聞いたこともない昔の軍歌を1番から30番、時には50番まで一度だけ歌い、「朝までに覚えておけ。一人でも歌えなければ全員でペナルティのダッシュだ」と命じられます。最初は「そんなの無理だ」と絶望し、トイレに逃げ込んで覚えようと必死になりましたが、2週間も経つと不思議な現象が起き始めました。
極限状態に追い込まれることで脳が覚醒するのか、夜寝ている間に頭の中でテープレコーダーが再生されるかのように、一度聴いた歌詞とメロディーがパッと浮かび上がり、8割方は完璧に歌えるようになったのです。極限の緊張感と体罰の恐怖の中で、人間の記憶力は飛躍的に研ぎ澄まされるという原理を体感しました。
この自衛隊時代に養われた「超人的な記憶力」は、後に私がビジネスの世界へ飛び込んだ際、最強の武器となりました。
水産業や営業の現場に入った際、数十~数百人に及ぶお客様の電話番号や請求書の送付先住所を、資料を一切見ることなくすべて暗記して処理することができました。いちいちメモや帳簿を確認する時間を削ることで、人の何倍ものスピードで処理することができたのです。
それ以上に大きかったのは、対人コミュニケーションにおける圧倒的なアドバンテージです。一度交わした会話の内容、相手が過去に探していた商品の特徴、ふと漏らした悩みなどをすべて鮮明に覚えていたため、「あの方なら今この商品を求めているはずだ」と、即座に最適な提案の電話をかけることができました。
「自分のことを細部まで覚えていてくれる」という感動は、お客様との強い信頼関係を生み出し、その後の数々のビジネスを成功へ導く確固たる基盤となったのです。極限の訓練で得た体力と記憶力こそが、私の商売人としての原点となっていきました。


