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#05社名「喜代村」に込めた原点——「分ければ余る」の教えとマグロの半切れ
木村 清 2026/09/05
普段はおちゃらけていて多くを語らない母でしたが、ここぞという時には、人として生きていく上で決して忘れてはならない大切な言葉を授けてくれました。
そのひとつが「義理を欠いてはいけない」という教えです。どれほど生活が苦しく、朝から晩まで多忙を極めていても、母は親戚や地域のお付き合いや冠婚葬祭には必ず顔を出していました。
昭和30年代当時、高級魚であったマグロやお刺身は我が家にとってめったに口にできない大変なご馳走でした。冠婚葬祭の席で折詰が出されると、母は自分では食べずにそのまま家へ持ち帰ってきてくれたものです。ある日、その折詰の中にマグロの切り身が2切れ入っていました。
その時、家にいたのは母と2人の姉、そして私の4人でした。2切れのマグロを前にして、どう分けるか。そのまま分ければ2人分にしかなりません。しかし、母は笑顔でこう言いました。
「一人で食べればそれで終わりだけど、2つに切って4人に分ければ、全員で食べられる。分ければ余るんだよ。一人で食べるより、みんなで分かち合って食べた方がおいしいし、喜びも4倍になる」
そうして切り身を包丁で切り分け、さいの目にして家族4人で分け合って食べました。今思えば安価なキハダマグロの赤身だったかもしれませんが、その時の美味しかった味と家族全員で味わった大きな喜びは、半切れのマグロとともに私の心に鮮明に刻まれました。
この「分ければ余る」「喜びはみんなで分かち合う」という原体験こそが、創業時の社名「喜代村」の由来であり、原点です。自分たちが喜ぶだけでなく、喜びを分かち合いその喜びを次の世代へつないでいく。そんな思いを込めて名付けた社名が、今日に至るまでの私の経営判断における最大の基準となっています。
例えば、未曽有の危機となったコロナ禍において、外食産業全体が深刻な打撃を受けた際にも、私はこの精神を貫きました。どんなに苦しくとも、従業員やアルバイトを含めた全員に、残業手当まで含め、以前とまったく同じ給料を全額支給し続けました。会社としては大変な負担となり資金も減りましたが、困難な時こそ「みんなで分かち合って乗り越える」ことこそが企業の務めだと信じていたからです。
初競りでいくら高値で「一番マグロ」を落札しても、お客様には普段と変わらない手ごろな価格で提供し続けるのも同じ理由です。東日本大震災の翌年、日本の皆さんに元気になってもらいたい一心で高額落札した際も、この姿勢を崩しませんでした。一人でも多くの方においしいマグロを食べてもらい、元気を届けたい。
ただ形だけのボランティアを行うのではなく、魂を込めて「みんなが良くなるために何をすべきか」を考え、実践していく。幼少期に母と分け合ったわずか半切れのマグロの味が、今も経営者としての私の情熱を支え続けています。


