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7/20(日)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/07/15
Switch2の国内外での争奪戦が記憶に新しい任天堂。皆さんは、「任天堂」と聞いて、何を初めに思い浮かべますか?
ファミリーコンピュータやスーパーマリオなど、子ども時代を彩ったゲーム機や、家族や友人と盛り上がった思い出が脳裏に浮かぶ方も多いのではないでしょうか。
しかし、任天堂の歴史を紐解くと、130年以上前の京都の花札工房にたどり着きます。時代ごとに危機を乗り越え、新しい市場を切り開いてきた任天堂。その歩みには、時代を乗り越えていくヒントが詰まっています。
本記事では、任天堂の歴史から、近年の販売戦略、そしてそこから導き出せるビジネスの本質をご紹介します。
任天堂の創業は1889年。京都・下京の一角に、22歳の山内房治郎が「花札」を作る小さな店を開いたのが始まりです。
当時の花札は、職人が一枚一枚手作業で作る高級品。特に賭博師たちには、札の品質へのこだわりが強く、房治郎は**「キズやムラのない最高級品」**を徹底的に追求しました。
その中でも、大ヒット商品「大統領」は、質の高さを象徴するブランドとして、今もなお販売され続けています。
1902年には政府の課税強化で業界が苦境に陥りますが、任天堂は**「トランプの国産化」**に舵を切り、たばこ王・村井吉兵衛の販売網を活用して市場を開拓しました。
職人気質にとどまらず、全国展開という商才を駆使し、昭和初期には「安定した優良メーカー」として広く知られる存在になりました。
その後も、ディズニーキャラクターを使ったトランプの投入や工場の集約化、大量生産体制の構築など、つねに新しい一手を打ち続けてきました。
任天堂は「娯楽以外」の分野にも挑戦します。タクシー事業やインスタント食品、ベビーカーなど、意外な事業にも進出しましたが、いずれも大きな成功には至りませんでした。
この経験から、**「任天堂は遊びに徹するべき」**という原点回帰の教訓を得ることになります。
1960年代後半、天才開発者・横井軍平の入社をきっかけに、任天堂は**「アイデア玩具」**に活路を見出します。マジックハンド「ウルトラハンド」や家庭用ピッチングマシン「ウルトラマシン」など、子どもたちをワクワクさせる商品を次々と発売。売上は一気に倍増し、「カード会社」から「遊びの会社」へと脱皮していきました。
さらには、光線銃SPやレーザークレー射撃システムといったエレクトロニクス玩具にも挑戦。一時はオイルショックで経営危機を迎えますが、このときに培った技術力や販売ノウハウが、後の「家庭用ゲーム機」事業に生かされていきます。
1980年、開発者の横井が生み出した「ゲーム&ウオッチ」によって、当時の売上が150億円から600億円にまで急増しました。これにより70億円の負債を返済するだけでなく、40億円の資金を貯めることに成功。当時の社長・山内溥は、アーケードゲームを家庭で遊べるようにするために、伝説的なゲーム機・「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」の開発に着手、1983年に販売をスタートしました。
ファミコンは発売2年で国内シェアの9割を占め、名作ソフト「スーパーマリオブラザーズ」や「ドラゴンクエストIII」など、社会現象を巻き起こしました。
ここでも任天堂は高性能・低価格を貫き、全国の家庭にゲームという新たな文化を根付かせていきます。
2017年に登場した「Nintendo Switch」は、据置型と携帯型を両立した“ハイブリッド”なゲーム機。「一家に一台」だけでなく、「一人一台」の需要を生み出し、国内外で累計1億5,000万台以上という圧倒的な販売台数を記録しています。
その背景には、次のようなポイントがあります。
2024年に発表された「Nintendo Switch 2」では、さらに戦略的な施策が展開されています。
これまでの任天堂の歩みや最新戦略を振り返ると、ビジネスパーソンとして学ぶべき「大事な考え方」がいくつも浮かび上がります。
任天堂は、異業種参入で苦い経験をしつつも、「遊び」にこだわる原点回帰を経て大飛躍しました。一方で、時代の変化や技術革新には常に柔軟に対応し、「新しい遊び方」を追求し続けています。
任天堂は、花札職人時代から「ユーザーが本当に求める品質・体験」に徹底してこだわってきました。Switchの「携帯型+据え置き」という発想も、ユーザーの生活に寄り添った結果です。
任天堂の歴史を見れば、成功の裏には必ず「しなやかな適応力」と「ぶれない信念」がありました。時には大胆な方針転換を行い、時には「遊び」という本質に立ち返る――そのバランスが、130年以上続くブランドを支えています。
任天堂の物語は、単なるゲーム会社のサクセスストーリーではありません。あらゆる業界のビジネスパーソンにとって、「時代を超えて生き抜くための知恵の宝庫」なのです。