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2026

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    日本の保育はどこから始まった?1890年、新潟で生まれた「子どもを預かる」という発想

    日本の保育はどこから始まった?1890年、新潟で生まれた「子どもを預かる」という発想

     「保育園」は、今では私たちの生活に身近な存在です。仕事をしている間、子どもを預かってもらう場所。食事や昼寝、遊びを通して、子どもの成長を支えてくれる場所。では、日本でこうした「保育」の仕組みが始まったのは、いつだったのでしょうか。

     その原点として知られているのが、1890年(明治23年)、新潟で始まった託児施設です。そこには、ひとりの教育者と、その妻の存在がありました。

    日本の保育の始まりは、明治23年の新潟から

     日本で最初の託児所とされているのが、1890年に新潟市の「新潟静修学校」内に設けられた施設です。創設したのは、教育者の赤沢鍾美(あかざわ・あつとみ)と妻のナカ(仲子)でした。日本大学協会の資料でも、1890年に赤沢夫妻によって新潟静修学校内に創設された託児所が「わが国最初の託児所」とされています。

     現在の赤沢保育園も、1890年6月1日に赤沢鍾美が新潟静修学校を創立すると同時に、幼児を保護する事業を始めたことをその歴史の出発点としています。しかし、当時から「保育園」という名前だったわけではありません。始まりは、もっと素朴なものでした。

    なぜ、託児所が必要だったのか

     当時の新潟では、経済的な事情などから、学校に通うことが難しい子どもも少なくありませんでした。赤沢鍾美は、小学校の臨時教員を務める一方、自宅で若者たちに読み書きやそろばんなどを教えていました。やがて、その私塾を「静修学校」と名付けます。

     ところが、そこに通ってくる生徒たちの中には、幼い弟妹や奉公先の赤ん坊を連れてくる人がいました。勉強をしたくても、幼い子どもを置いてくることができない。そこで、赤沢夫妻は幼い子どもたちを一室に集め、世話をするようになります。これが、日本の保育の大きな一歩になりました。

     つまり、日本の保育の始まりには、

     「子どもを預ける場所を作ろう」

     という制度的な発想が最初からあったわけではありません。

     「学びたい人がいる。でも、子どもを連れてこなければならない」

     そんな目の前の困りごとに応えるところから始まったのです。

    「教育」と「保育」は、少し違っていた

     ここで、当時の「幼稚園」と「託児所」の違いを見ると、日本の保育の特徴がより分かります。

     明治時代には、すでに幼児教育の仕組みが作られていました。1876年(明治9年)には東京女子師範学校附属幼稚園が開設され、フレーベルの幼児教育思想なども日本に紹介されていきました。幼稚園は、幼児に教育を行うことを中心とした施設でした。

     一方、託児所は、家庭の事情などによって子どもを預ける必要がある人のための場所として発展していきます。

     そのため、日本の保育は「幼児教育」だけではなく、

     子どもの生活を支えること

     そして、

     子どもを育てる家庭を支えること

     と深く結びつきながら発展していったのです。

    保育は、社会の変化とともに広がっていった

     赤沢夫妻の託児所をきっかけに、託児施設は少しずつ広がっていきました。1894年には紡績工場に、1896年には三池炭鉱にも託児施設が設けられています。

     特に工場などで働く女性が増えるにつれて、「働いている間、子どもをどうするのか」という問題が大きくなっていきました。託児所は、幼稚園とは異なる形で、社会の必要に応じて民間から発展していったのです。

     ここには、現在の保育園にも通じる大切な考え方があります。それは、

     子どもの育ちを守ることと、大人が生活や仕事を続けることは、切り離せない

     ということです。

    1900年には「二葉幼稚園」が誕生

     日本の保育の歴史を語るうえで、もう一つ重要なのが1900年(明治33年)に東京・麹町で始まった二葉幼稚園です。創設者は、野口幽香と森島峰(美根)。二人は華族女学校附属幼稚園で働いていましたが、貧しい家庭の子どもたちの姿を見て、「この子どもたちにも教育を受けさせたい」と考え、幼稚園を設立しました。

     最初は、わずか6人の子どもからのスタートでした。しかし、その後、貧困地域へと活動を広げ、子どもの保育だけでなく、家庭訪問、衛生指導、病児の治療、親への支援などにも取り組んでいきます。

     そして1916年(大正5年)には、乳幼児を預かる役割も担うようになったことなどを背景に、「二葉保育園」へと名称を変更しました。

    日本の保育は「子どもだけ」を見て始まったのではない

     赤沢夫妻と、野口幽香・森島峰。時代も活動の形も異なりますが、二つの取り組みに共通しているものがあります。それは、子どもを取り巻く環境そのものを見ていたことです。

     子どもを預ける場所がない。勉強したくても幼い弟妹を連れていかなければならない。貧しい家庭の子どもたちには、教育を受ける機会が十分にない。働く親には、子どもを安心して預けられる場所が必要になる。

     こうした現実の中から、日本の保育は少しずつ形を作っていきました。

     保育とは、単に「子どもを預かること」ではありません。子どもが健やかに育つことと、その子どもを育てる家庭の生活を支えること。その両方を考える営みとして、保育は発展してきたのです。

    「預かる」から「育ちを支える」へ

     1890年に新潟で始まった小さな託児の取り組みは、その後、時代の変化とともに姿を変えていきました。工場内の託児所、農繁期託児所、貧困家庭を対象とした保育施設など、さまざまな形が生まれます。

     そして戦後、1947年に児童福祉法が制定されると、保育所は児童福祉施設として制度の中に位置づけられていきます。現在では、保育園は子どもたちの生活の場であり、成長を支える場であり、保護者の就労や子育てを支える社会的な基盤でもあります。その原点をたどっていくと、1890年の新潟で、赤沢夫妻が幼い子どもたちを一室に集めて世話をした光景に行き着きます。

    おわりに

     「この子を誰かが見ていなければならない」

     「子どもがいても、学びたい、働きたい」

     そんな人々の切実な必要に応えるところから日本の保育の歴史は始まりました。

     1890年、新潟で始まった小さな託児の取り組み。そこから日本の保育は、少しずつ社会の中に根を張っていきました。

     子どもを守ることは、子どもを育てる人を支えることでもある。100年以上前に生まれたこの発想は、今もなお、日本の保育を考えるうえで大切な原点なのかもしれません。

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