
「世界最速」ウサイン・ボルト――自然体が生んだ唯...
9/24(水)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/24
驚異的な記録、手に汗握る接戦、そしてドラマティックな人間模様。世界陸上は時代ごとに“伝説”を生み出してきました。本記事では、世界陸上の歴史に名を刻んだ世界のスターたちと、日本陸上界の希望となった偉大な選手たちを紹介します。
世界陸上史上、最も鮮烈なインパクトを残した選手の一人が、ジャマイカのウサイン・ボルト選手です。
2009年ベルリン大会で樹立した男子100mの“9秒58”――この数字は、今なお多くの陸上ファンにとって「常識を超えた記録」として語り継がれています。
ボルト選手の走りは、その長身(196cm)を活かしたダイナミックなフォーム、中盤から一気にスピードに乗る独特の加速力が特徴です。スタート直後は他の選手に若干遅れをとるものの、20mを過ぎると一気に抜き去り、ゴール直前では余裕の表情でフィニッシュ。ゴール後には“ライトニング・ボルト”のポーズで観客を沸かせる姿も、彼ならではのパフォーマンスです。
さらに200mでも19秒19という世界記録を樹立。2種目で世界新記録を達成するという偉業は、まさに「超人」の証でした。
ボルト選手自身、「スタートは得意ではない」と語りつつも、ビッグゲームでは驚異的な集中力と調整力を発揮します。北京五輪、ベルリン世界陸上と“前人未踏”の記録を次々と塗り替え、世界中のファンを魅了しました。
次にご紹介したいのは、アメリカのアリソン・フェリックス選手です。
彼女はオリンピック・世界陸上を通じて「トラック界随一の金メダリスト」として知られています。200m、400m、4×100mリレー、4×400mリレーで数々の金メダルを獲得し、世界陸上では女子史上最多となる13個の金メダルを誇ります。世界陸上は2003年に高校生として出場してから、通算10回の出場を果たしました。
2018年には妊娠高血圧腎症というリスクの高い状態で緊急帝王切開を経験し、母となって再びトラックに戻ってきました。2021年の東京五輪では5大会連続の出場を果たし、出産後もなお世界の頂点で戦い続ける姿は、多くの人に勇気と希望を与えました。
「自分の能力は神からの贈り物」――そう語るフェリックス選手は、与えられた才能を最大限に活かすことの大切さ、そして人生の困難を乗り越える力を、私たちに体現してくれました。
棒高跳びという種目で「伝説」と呼ばれる選手といえば、ウクライナのセルゲイ・ブブカ選手です。
1983年のヘルシンキ大会で初優勝を果たして以降、世界陸上で前人未到の“6連覇”を達成。圧倒的な強さを誇りました。
彼の最大の功績の一つが、1985年に人類で初めて“6mの壁”を突破したことです。その後も屋外・屋内合わせて35回も世界記録を更新し続け、棒高跳びのレベルを飛躍的に押し上げました。
ブブカ選手はオリンピックではソ連のボイコットや予選の棄権など度重なる不運にも見舞われましたが、記録の更新と競技の進化に生涯を捧げた姿は、スポーツ界全体への貢献として高く評価されています。
現役引退後もIOC理事などとしてスポーツ振興に尽力し、“伝説”の名にふさわしい存在となりました。
女子棒高跳びの分野で、見る者すべてを魅了した伝説的選手が、ロシアのエレーナ・イシンバエワ選手です。
「世界記録は私の名刺代わり」――この言葉のとおり、屋外15回、室内13回の世界記録を樹立。世界陸上でも3度の金メダルに輝きました。
イシンバエワ選手の特徴は、圧倒的な集中力と“舞台映え”するパフォーマンス。試技の直前には帽子やタオルで自分の世界に入り、観客を引き込みます。2005年ヘルシンキ大会では、女子選手として初めて5mを突破し、棒高跳び界に革命をもたらしました。
男子棒高跳びのブブカ選手を尊敬し、1~2cm刻みで記録を更新するスタイルも継承。「イシンバエワ劇場」と称賛される彼女の舞台は、女子棒高跳びという種目そのものの進化を象徴していました。
男子400m障害で2度の世界陸上銅メダルを獲得した為末大選手。
為末選手は元々100m・200mの短距離ランナーでしたが、高校時代に400mへ転向。世界ジュニアでの経験から400m障害への挑戦を決意します。身長170cmと小柄ながら、短距離のスピードと持ち前の跳躍力を活かし、「1台目をトップで越える」独自の戦略を確立しました。
エドモントン大会では予選から決勝にかけてタイムを上げ続け、日本新記録でのメダル獲得。決勝で自己記録を更新できる“勝負強さ”と、“大舞台を楽しむ心”が成功のカギとなりました。ヘルシンキ大会では経験と冷静なレース運びで2つ目のメダルを手にし、日本陸上界に大きな希望をもたらしました。
「メダルが目標と言っていましたが、実際にこの順位になると、手の震えが止まりません」
男子200mで日本人初の世界陸上メダリストとなった末續慎吾選手の言葉です。
2003年パリ大会、決勝でアメリカ勢と激しい3位争いの末、見事銅メダルを獲得。日本人にとって短距離種目のメダルは“夢のまた夢”と言われていたなか、末續選手は「ファイナリストを目指すのでなく、メダルを目標に」と“壁”を打ち破るマインドセットを持ち続けました。
決勝ではスタート時のトラブルにも動じず、自分の走りに集中。最後の直線で痙攣が起きながらも、ゴール直前で粘り抜き、ついにメダルを手にします。その後も日本人短距離選手の道しるべとなりました。
2004年アテネ五輪で世界の頂点に立ち、2011年テグ大会では36歳で世界陸上金メダルを獲得した室伏広治選手。
試合ごとに調整を極め、ベストパフォーマンスを発揮する巧みさ、そして年齢を重ねても色褪せない技術と集中力が光りました。
特にテグ大会では、投げるたびにシーズンベストを更新する圧巻のパフォーマンス。ハンマー投げという競技の特性上、体への負担も大きいなか、トレーニング方法やチーム運営も進化させ、競技人生を長く充実させました。
また、社会とのつながりや被災地支援など、アスリートとしての枠を超えた活動も注目されます。「自分の可能性を追い求め続ける」――室伏選手の言葉は、スポーツの枠を超えて多くの人の心に響きます。
世界陸上で名を残す選手たちに共通するのは、“常識や限界に挑み続ける姿勢”です。
ウサイン・ボルトは人類最速の壁を打ち破り、アリソン・フェリックスは女性アスリートの新たなロールモデルとなりました。セルゲイ・ブブカとエレーナ・イシンバエワは、棒高跳びという競技そのものの進化を体現。そして、日本の為末大、末續慎吾、室伏広治は、自らの限界と戦う姿で、次世代の夢を切り拓きました。
“限界”を超えることで初めて新しい景色が開けます。
世界陸上の歴史を彩ったアスリートに学び、あなた自身も“自分の限界”に挑戦してみてはいかがでしょうか。