
「なぜ道路で逆走は起こるのか?」――あなたを守る...
7/23(水)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/07/23
現アメリカ大統領・ドナルド・トランプ。彼の人生には、多くの物語が詰まっています。高層ビルのペントハウスから大統領執務室まで、彼が歩んだ道は決して平坦ではありませんでした。むしろ、誰よりも激しい起伏の中で、「勝つ」こと、「認められる」ことに執念を燃やし続けた一人の物語があります。
この記事では、彼の生い立ちから思考法までを紐解き、ビジネスパーソンが自分の人生や仕事で生かせる“トランプ流の本質”を、ともに考えていきましょう。
トランプの人生に刻まれた、ひとつの原体験があります。1964年、18歳の青年だった彼は、父親に連れられてニューヨーク・ブルックリンとスタテン島を結ぶ橋の開通式に出席しました。世界中の注目を集めるその舞台で、橋のデザインを手がけたオスマール・アンマンの名前が呼ばれることも、拍手が送られることもなかったのです。
市長や知事が司会をする中で、50年以上にわたりニューヨークの有名な橋を設計してきたオスマールが開通式で表に出ない光景が忘れられず、のちにトランプは語りました。
「偉業をなしたとしても、人に知られなければ意味はない。この先、誰にもバカにされたくないということが、このとき、私の中に刻まれた」
ここから、トランプの人生は大きく動き始めました。彼は「認められること」「評価されること」への強烈な欲求を心の奥に抱き、それが後の戦い方やビジネススタイルの根幹となるのです。
1946年、ニューヨーク・クイーンズで、不動産業で成功した父フレッド・トランプのもとに生まれたドナルド。裕福な家庭で育ちながらも、父は彼に「1ドルの価値」や「勤労の大切さ」を厳しく教えました。
幼少期のトランプは、主張が強く、時には手も出す“ガキ大将”でした。13歳で軍隊式の私立校、ニューヨーク・ミリタリー・アカデミーに送り込まれます。ここで彼は「こぶしの代わりに頭を使う」ことを学びます。トランプにとって、直接攻撃をするのではなく、戦略的に自分の意見を通していく方法を学ぶ時間でした。
やがて彼は、不動産に強い興味を持ち始めます。早くから父の現場に同行し、現実のビジネスの手触りを肌で感じていたのです。
トランプは名門・ペンシルベニア大学ウォートン校で学びながら、すでに実践的な目を持っていました。学生時代、彼は連邦住宅局の抵当流れ物件のリストを眺めるのを日課にしていました。ある日、オハイオ州シンシナティのボロボロの団地、スウィフトン・ヴィレッジに目をつけます。
実に1200戸のうち800戸が空き家。普通なら誰も手を出さない物件です。しかし、トランプは購入を決断。廊下にペンキを塗り、床を磨くなどの徹底的なリフォームで物件を生まれ変わらせました。さらに新聞広告でプロモーションも行い、1年足らずで満室にしてしまいます。
さらに周辺環境が悪化すると、すぐさま不動産投資信託会社に転売し、600万ドルの利益を叩き出しました。これが、若きトランプの“初勝負”でした。
この時点で、彼が培ったもの——
この2つの姿勢は、その後も彼の人生において繰り返し見られます。
卒業後、彼は父の会社で経験を積みますが、父が手を出さなかったマンハッタンの一等地進出を夢見ます。当時のトランプは、エリートたちが集う「Le Club」に足繁く通い、人脈を広げていました。
1973年、ニューヨークの財政危機で大手不動産業者が次々に撤退する中、彼はハドソン川沿いの広大な鉄道跡地に目をつけます。交渉相手には、まるで大企業の代表のような装い——黒のピンストライプスーツに刺繍入りのネクタイ——で現れました。
「君にできるのか?」と疑う相手に、「自分に不可能はない」と思わせる“演出力”で、ついに6200万ドルでの買収に成功します。
「勝つためには、法の許す範囲であれば、ほとんど何でもする」
信用とは実績だけでなく、「どう見せるか」「どう語るか」も重要な要素なのです。
次なる舞台は、荒廃したコモドア・ホテルの再生でした。倒産寸前、誰もが手を引く中で、彼はニューヨーク市から40年の税免除を引き出し、経営に乗り出します。
交渉は一筋縄ではいきませんでした。担当者と話が進まないと見るや、彼はトップに直接アポを取り、短期間で契約をまとめてしまいます。
「大きな取引は、必ずトップと話をせよ」
この鉄則は、ビジネスの現場でも、現代の交渉術でも、極めて実践的な教訓です。
1980年代、彼の名声を決定づけたのが、5番街にそびえ立つ「トランプ・タワー」でした。数年かけて手紙を送り続け、ついに経営難でオーナーが交代したタイミングを逃さず、朝一番の電話で30分後に面会し、素早く契約をまとめます。
ビルの空中権をティファニーから取得し、華麗なアトリウムと高級ショップを並べて「最高の場所に、最高の建物」を創りあげました。
ここでも、トランプは“噂”を逆手に取ります。王室カップルが購入したという話が流れると、否定も肯定もせず、話題性だけを高めました。
「悪評よりも無関心が最も恐ろしい。話題になること自体が価値になる」
メディアと評判を自在に操るトランプ流マーケティングは、現代のSNS時代にも通じるものがあります。
1990年代、巨大カジノ「タージマハル」と複数のホテル経営が負債をふくらませ、一時は「街の物乞いより貧しい」と自嘲するほど追い詰められます。多くの同業者が破産する中、トランプは「誰よりも早く銀行と交渉を始める」と決意。多額の借金は「銀行の問題」と割り切り、「私に融資を続ければプロジェクトは回る」と説いて、再建の糸口をつかみます。
「苦境は正面から受け止め、早く痛みを味わい、全力で乗り越える」
この胆力と割り切りの強さは、どんな時代にも通じるリーダーの資質と言えるでしょう。
トランプの特徴のひとつは、徹底した「自己肯定感」と「承認欲求」です。自分の偉大さを誰よりも信じ、常にメディアの注目を集めることに全力を注ぎます。オフィスには雑誌の表紙がずらりと並び、その多くは自分自身——。
「私は世界でもっとも尊敬されるリーダーだ」「自分が一番だ」と公言する姿は、ともすれば“過度のナルシスト”と揶揄されることもあります。しかし、この「自分が一番」だという強い自己像は、周囲を巻き込み、エネルギーに変える原動力でもあるのです。
一方で、批判や反対者に対しては過敏に反応し、激しく反撃します。すべてを「味方と敵」「善と悪」という二元論でとらえる思考パターンは、好き嫌いが激しい現代社会の縮図のようでもあります。
派手なビジネスや政治の裏で、兄をアルコール依存症で亡くしたことから、トランプは一切酒を飲みません。タバコも吸わず、健康志向かと思いきや、実はファストフードの大ファン。ハンバーガーやステーキ、1日12本ものダイエットコーラ——。政府機関の閉鎖時には、ホワイトハウスに招いた客を大量のファストフードでもてなすなど、独特の一面もあります。
家族に目を向けると、3度の結婚、5人の子ども、10人の孫。長女イバンカやその夫クシュナーを政権の重職に起用し、家族を積極的に巻き込む姿勢もまた、トランプ流です。
政治経験ゼロから大統領へ——。誰もが「無謀」と思った挑戦も、彼の信念は揺るぎませんでした。「大きく考えろ。シングルヒットではなく、ホームランを狙え」。これは、彼がビジネスだけでなく人生全体に貫いた哲学です。
支持者を熱狂的に巻き込み、敵対者には容赦なく牙を剥く。批判を恐れず、過激なまでに“自分流”を貫く姿は、賛否両論あれど、現代のリーダー像を大きく変えました。
私たちはこの「トランプ流」から何を学ぶべきでしょうか?
もちろん、トランプのやり方すべてが現代社会で通用するわけではありません。過剰な自己愛や二元論的な物の見方は、ときに組織や社会に混乱をもたらすこともあるでしょう。 しかし、「誰にもバカにされたくない」という強い思いが、現実を動かす原動力になる——この事実は、どんな時代のビジネスマンにも響く普遍的な真理です。自分の価値を自分で決め、前に進むこと。時には大きな夢を、公言してしまうこと。
まだ誰も挑戦したことのない世界へ注目していない一歩を踏み出す——その勇気が、思わぬ景色を見せてくれるかもしれません。