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2025

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    所得倍増計画を執行した第58~60代内閣総理大臣・池田勇人の考え方

    所得倍増計画を執行した第58~60代内閣総理大臣・池田勇人の考え方

    「経済のことは池田にお任せください」

    この言葉は、池田勇人が日本の歴史を大きく動かし、“経済の国”へと変貌させた転換点を象徴しています。池田が登場するまで、日本の政治家は経済政策を前面に掲げることは稀でした。むしろ「経済は専門官庁に任せ、政治家は政治をやれ」というのが当時の常識だったのです。

    池田勇人とはどんな人物だったのでしょうか。彼がどんな思いで「所得倍増計画」を打ち出し、日本の経済を押し上げたのか。その軌跡をたどりながら、彼自身の人生観に迫ります。

    波乱の青年期──「正直者」を育んだ試練

    池田勇人は、広島県の名士の家に生まれました。快活で豪放な性格を持ち、京都大学を卒業後、大蔵省に入省します。当時の官僚社会は、一高・東大出身が主流で、池田のような「京大出の赤キップ組」は異端児の存在でした。しかも、池田は若くして不治の難病「落葉性天疱瘡」に冒され、絶望的な闘病生活を余儀なくされます。身動きもできない苦しみの中、最愛の妻・直子は池田を必死に看病しますが、彼女は病死してしまいます。池田自身も「死んでたまるか」と生死の境をさまよいながら、奇跡的に回復します。

    この経験は彼の人生観を大きく変えました。「裸で生まれた人間は、遅かれ早かれ、いずれ裸で帰っていく」と達観した池田は、虚飾や見栄を嫌い、愚直なまでに正直を貫きます。後に彼が「私は嘘は申しません」と国民に語ったのは、ただのパフォーマンスではなく、生死をさまよった者が持つ、深い誓いでした。

    戦後の激動を歩む──数字に強い経済スペシャリスト

    病を克服した池田は、再び大蔵省へ。同期の多くが出世街道を歩む中、彼は蚊帳の外に置かれる苦い時期も経験します。しかし、戦後のGHQによる公職追放で官僚の主力が一掃されると、池田に大きなチャンスが巡ってきました。その後、彼は大蔵省の事務次官まで上り詰めます。

    池田は数字への強いこだわりを持つことで知られていました。税務や経済指標を丸暗記し、数字の持つ意味を徹底的に分析。「美術品の価値や演説の効果まで数字で語る」とまで言われ、周囲を呆れさせるほどでした。しかし、この数字感覚こそが、日本経済の将来像を見抜く力の源泉となりました。

    政界進出──吉田茂の腹心として

    1949年、池田は政界入りを果たします。初当選と同時に吉田茂内閣の大蔵大臣に抜擢され、「吉田学校」の優等生として経済政策の全権を任されます。以後、大蔵・通産大臣、自民党幹事長、政調会長と要職を歴任。吉田の信頼は厚く、「こういう時代の総裁には正直者を先にした方がいい」とも語っています。

    政治家となった池田の発信力は抜群でした。「経済は池田にお任せください」「月給を2倍にします」といった、分かりやすく力強い言葉で聴衆の心を掴みます。時に「貧乏人は麦を食え」など失言も報じられましたが、当時の新聞が誇張して伝えた部分も多く、池田自身は常に正直さを貫きました。

    「寛容と忍耐」を掲げ──安保闘争後の混乱から経済重視へ

    1960年、日本は日米安保条約改定を巡る激しい社会的混乱の渦中にありました。岸信介首相は強硬採決の責任を取り退陣。池田は自民党総裁選で勝利し、総理の座に就きます。このとき、池田が国民に示したのが「寛容と忍耐」の政治姿勢でした。

    「国のためになるなら電信柱にすら頭をさげるつもりで総裁になったのだ」

    と語り、対立よりも融和と安定を重視する姿勢を鮮明にします。

    当時の日本は、政治的混乱から国民の目を経済政策へと向け直す必要がありました。池田は、自身の得意分野である経済に活路を見出します。その象徴こそが「所得倍増計画」でした。

    所得倍増計画──誰もが夢と感じた成長戦略

    池田は、1959年に一橋大学の中山伊知郎教授が提唱した「賃金二倍論」をアレンジし、「月給二倍論」というキャッチーなフレーズに変えます。この言葉を選挙演説で繰り返し用い、1960年12月、第二次池田内閣で「所得倍増計画」が閣議決定されました。

    この計画は、1961年から1970年までの10年間で日本のGNP(国民総生産)を倍増させるという大胆な目標を掲げていました。年平均成長率7.2%、完全雇用の実現、格差の解消、社会資本の整備──池田のビジョンは、単なる経済成長だけでなく、国民生活の質的向上にまで及びます。

    「私は嘘は申しません」

    池田は国民の前で、正直に夢を語り、その実現に全力を注ぐ決意を示します。高度経済成長期が既に始まっていたとはいえ、GNP倍増は決して楽観視できる数字ではありませんでした。しかし、池田は「日本には軍事コストがなく、その分の資金を重化学工業や社会資本整備、企業融資などに回せば不可能ではない」と確信していました。

    成長のエンジン──自由な企業と市場、そして人材投資

    所得倍増計画の骨子は、民間企業の自主性や創意工夫を最大限に活かし、自由な市場の中で日本経済を伸ばすというものでした。この方針のもと、民間設備投資が成長のエンジンとなり、新幹線、高速道路などの社会インフラも急速に整備されていきます。

    加えて、池田は「経済成長を支えるのは“人”である」と認識し、教育や職業訓練、科学技術の振興に力を入れました。農業基本法の制定による農業構造改革、中小企業の生産力向上、地域格差の是正、輸出拡大──いずれも国民所得の底上げと分配改善を目的とした政策でした。

    実際、池田政権下で相対的貧困率は改善し、大企業と中小企業、都市と農村の所得格差も次第に縮小していきます。高度経済成長の副作用として都市過密や農村過疎、物価上昇、公害といった問題も生じましたが、それでも「豊かさ」を実感できる時代が到来したのです。

    「消費は美徳」──国民生活の変化と大衆文化

    池田勇人の「所得倍増計画」の波に乗り、1960年代の日本は「岩戸景気」「オリンピック景気」と呼ばれる好景気に湧きます。「消費は美徳」という言葉が流行し、フラフープやスバル360、カラーテレビ、チキンラーメンといった新商品が次々と登場。東京タワーや新幹線の開業など、日本の風景も大きく変わります。

    この時代、池田は「消費は悪徳ではなく、経済成長の原動力だ」と強調し、国民に積極的な消費を促します。結果として、個人消費が拡大し、日本人の生活水準は飛躍的に向上しました。

    世界に認められる国へ──先進国入りの道

    池田のビジョンは国内だけにとどまりません。日本の国際的地位向上のため、GATT11条国(自由貿易先進国)、IMF8条国(通貨制限のない先進国)への移行を実現し、さらに1964年にはOECD(経済協力開発機構)への加盟も果たします。これによって日本は、名実ともに先進国の一員となりました。

    池田は「世界に誇れる経済大国へ」という目標のもと、貿易自由化や通貨の国際化を積極的に進めました。「やっぱここは開かないと損だ」と語り、国内産業の競争力強化を後押しします。その自信の裏には、「いいモノを作れる基盤は整えてきている」という確かな手ごたえがあったのです。

    東京オリンピック──日本の成長を世界へアピール

    1964年、東京オリンピックの開催は、池田政権の集大成でもありました。世界45カ国にテレビ中継され、華やかな祭典とともに日本の驚異的な復興と成長ぶりが世界中に知られることになります。新幹線や首都高速道路、ホテル、競技場などのインフラ整備は、まさに「一兆円規模の公共事業」となり、オリンピック景気を生み出しました。

    この国際イベントを通じて、日本は「敗戦国」から「経済大国」へと見事な変貌を遂げたのです。

    最期まで正直者──病床からの辞任

    オリンピック閉会直後、池田は喉頭癌のため辞任を表明します。その際、

    「国民各位にたいし、まことにあいすまぬ気持ちでいっぱいであります」

    と談話を発表しました。池田の誠実さと国民への責任感がにじむ一言でした。
    彼は「私は嘘は申しません」と言い続け、最後まで正直者であり続けました。その愚直なまでの誠実さが、人々の心を動かしたのです。

    まとめ──私たちが学ぶべき池田勇人の思想

    「経済は池田にお任せください」「私は嘘は申しません」──池田勇人の言葉は、時代を超えて多くの示唆を与えてくれます。未曽有の経済成長を実現したその裏には、数字への執着だけでなく、正直さと誠実さ、他者を受け入れる寛容さ、そして人々を豊かにしたいという強い思いがありました。

    今、私たちが困難な時代を迎えた時、池田勇人の「愚直な正直者」としての姿勢や、「経済で国を立て直す」という覚悟は、大きなヒントを与えてくれます。かつて「経済の国」に日本を変えた池田勇人。その歩みは、これからの社会やビジネスを考える上でも、色褪せない羅針盤となるはずです。

    #池田勇人#所得倍増計画#高度経済成長#日本経済#昭和史#経済成長#東京オリンピック#ビジネスリーダー#経済政策#日本の歴史

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