
ラフォーレ原宿の活性化 インキュベーション機能の...
5/22(木)
2025年
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八木原 保 2025/05/09
私はニット製品の仕入れ業務だけでなく、自社のオリジナルブランドを持ちたいと考えていた。当時、一世を風靡していたのはアイビールックを押し出す石津謙介氏のVAN。そのカウンター的な存在として、JUNがあった。それにならって、アルファベット3文字の響きがよいと思った。そして、「ジム」というアメリカ人の名前から着想して「GIM」と名付けることにした。
ニットメーカーにセーターやポロシャツを製作してもらい、都内の百貨店や⼩売店に持ち込んだ。日が暮れたら地方都市へも足を運んだが、最初のうちは成果が上がらなかった。そんなとき、アメリカのファッション雑誌を見て、カラフルに染め分けたTシャツの写真を発見した。
「絞り染め」というのをご存じだろうか。布の一部を糸でくくり、染め壺に入れたのち、糸をほどくと花が咲くような模様ができる技法だが、アメリカでは「タイダイ」と呼ばれ実にカラフルな模様を生み出していた。これを自社でやってみることとした。みやこ染(東京の日本橋を発祥とする家庭用染色剤)を使い、シャツを軒先にぶら下げて絞り染めを作った。住宅地でそんなことをしていたのだから、あそこの家は何をしているのかと近所の方々には不思議に思われたことだろう。
これが、飛ぶように売れた。4年目くらいから一気にブームが来たのだ。白い生地のシャツを作ってもらい、それを1日200 ~300枚、輪ゴムで止めて4色くらい鍋に放り込み、染めて洗って干す。このシャツを皮切りに、他にもヒット商品に恵まれた。アニマル柄を編み込んだセーターも、セーターの腰の部分にベルトを巻くラップ・ジャケットもヒットした。こうして、原宿セントラルアパートに直営店を出店し、会社設立の11年目には自社ビルを建設することができた。
しかしGIMの成功は、海外を発祥としたアイディア商品によるものにとどまらない。本質的な価値を追求した商品も大ヒットを飛ばした。ファッション業界は流行の入れ替わりが激しく、独自性を出さなければ選んでもらえない。その中で私は、天然繊維にこだわって独自性を追求した。質の良い綿や麻に、日本では最高級といわれているカシミヤなどの素材を使い続けた。
現在ではポリエステルやナイロンなど化学繊維100%の製品があふれているが、やはり天然繊維は人間の肌に優しいという特長がある。イギリス領だったカリブ海地域で生産されていたシーアイランドコットンという綿があるが、これはイギリス王室にも献上され、1kgあたり1万円の値段が付くほどの最高級品だ。それを少しずつ譲ってもらい、市場に提供した。そうして、良いものを追求してきたことが成功の要因として大きかったと思う。
ロックフェラー・センターを日本企業が買収するような当時の時代背景にあっては、高額であっても価値を正当に評価され、若者向けの高い商品が売れていった。GDPが低迷する現在の日本では、こうした商品がなかなか生まれていない。その現状を見て、私はこの国の行く末に危機感を感じている。