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2025

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    「あの時ほど苦しいことはない」と言える経験をした高校時代

    #10「あの時ほど苦しいことはない」と言える経験をした高校時代

    原石からダイヤへ

    中学3年生の時、バレーボール部を引退し、夏期講習で初めて塾に行きましたが、あまり意味がないと感じました。当時私は生徒会長をやっていたのですが、少し跳ねっ返りなところがあったので、「マシーンのように先生に褒められる役は嫌だ」と強く感じていました。当時の生徒会長は、先生が喜ぶことだけをやるという風潮があったのです。そこで、次の代に引き継ぐ全校集会で、私はひと演説ぶちました。

    「私は立派な生徒会長というイメージだったかもしれませんが、正直に言うと失敗でした。本当にやりたいことはできず、生徒指導の先生や校長先生の気に入られるように振る舞っただけで、ダメでした」と話したのです。後で叱られました。中学3年生の出来事です。

    前述したように、毎日日記を書いており、自分の内面を書き出す中で、「自分は優等生にはならないぞ」という気持ちがありました。当時は学生運動の影響もあり、反発することが格好良いという風潮があったのかもしれません。今の素直な中学生とは違いますね。

    私は事務処理が非常に苦手です。事務処理に直面した瞬間に、偏差値が20くらいになってしまいます。10行程度の文章を読んで指示通りにこなす、といったことができません。思考が完全に止まってしまうのです。それが顕著に表れたのが、高校入試の直後でした。

    自宅に高校の入学手続きに関するハガキが届いたのですが、書いてあることが理解できなかったので、その辺に置きっぱなしにしていました。最終締め切りの日になって、母から「あんた、高校の手続きもあったじゃなか?」と指摘され、「知らん」と答え、「なんか来てたじゃなかとね?」と言われてハガキを確認したところ、その日が締め切りだと気づきました。「ヤッベ〜!」 と思い、急いで学校に電話すると、とても厳しい先生から「すぐに来なさい」と言われ、翌日なんとか許してもらい入学できました。「こんな生徒は初めてだ」と言われ、入学手続きを忘れるという失態を演じました。実は入学生総代に決まっていたそうですが、それも白紙となりました。ギリギリセーフで、入学することができたのです。

    高校生活は、まさに輝かしい青春物語でした。当時の私の願いはただ一つ、「モテたい!!」ということだけ。それ以外は何も要らないと思っていました。勉強はいつでも追いつけると考えていましたし、いろいろと考えた末、スポーツマンがモテるという結論に至りました。

    まずは中学校でもやっていたバレーボール部の見学へ行きましたが、雰囲気が緩いと感じました。一方、隣のグラウンドでは野球部が泥まみれで「気合い入れてくぞー!」と必死に練習しており、「こっちでしょ!」と思い、初心者ながら野球部に入部しました。親戚からは「野球部に入ると浪人するとばい」「成績がどんどん落ちていくぞ」と反対されましたが、両親は何も言いませんでした。私はその意見に耳を貸すことなく、野球部で頑張ることに決めました。

    野球部の練習は、非常に厳しいものでした。半年間体がなまっていた上、練習は想像を絶するものでした。毎日最後のベースランニングでは、ふらふらになりながら「今日で部活を辞めよう」と心に決めるのですが、水飲み場で水を飲み、先輩たちによくされているうちに、「やっぱやろうかな」という気持ちに変わっていくのです。

    当時は、本当に辞めたいと思っていましたが、今では野球をやって本当に良かった、とつくづく感じます。人生でどれだけ苦しいことがあっても、高校時代の練習ほど辛いことはありませんでした。二晩や三晩徹夜が続いても、「野球部の苦しさに比べれば……」といつも思うのです。だからこそ、私は若者たちには「あえて苦しい道を選ぶくらいが楽しいよ。決めることができるのは自分だけだ」と伝えています。

    厳しい練習に耐えかねて多くの部員が辞めてしまい、同期は2人だけになりました。私は野球は下手っぴでしたが、先輩が7人だったので、合計9人となり、試合に出場できることになりました。下手ながらもライトの8番打者として出場しました。

    これがまた良い経験となり、たくさんの思い出ができました。不思議なことに、小さい頃に野球をやっていたおかげか、打つのは得意で、毎試合のようにヒットを打ち、特にランナーがいる場面で活躍しました。得点圏にランナーがいる場面では「高濱、出番が来たぞ、出番が!」と期待され、「こんなド下手な僕が……しかも打ててるし……!」と、まるでお祭りのような気分でした。

    また、東海大二高(現・東海大学付属熊本星翔高等学校)という強豪校と練習試合をしたことがあります。相手チームには、後にプロになるような選手が2名もいました。私たちのチームも、先輩たちが上手だったのでベスト8に入る実力があり、ある程度は対等に戦えました。その試合で、私が打った球を「あれ? 見失ったな」と思っていたら、周りはワーワーと騒いでいます。 私の打ったボールは、ホームランになっていたのです。公式戦で初めてのホームランでした。

    すると、次の私の打席で、相手は後にプロとなった投手を、マウンドに送ってきました。そして、いきなり豪速球でデッドボールを喰らいました。要するに“懲らしめ”だったのだと思います。「なめてるんじゃねえぞ」というメッセージだったのでしょう。球は見えず、当たった感覚もありませんでしたが、息苦しさでその場に倒れ込みました。おそらく肋骨にヒビが入ったのだと思います。その後、先輩が代走で出されました。

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