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2025

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    ご挨拶 ~執筆にあたって~

    #01ご挨拶 ~執筆にあたって~

    原石からダイヤへ

    カフェカンパニー株式会社ファウンダー兼最高顧問の楠本修二郎さんからバトンを受けました、株式会社こうゆう代表取締役の高濱正伸です。楠本さんとは、日本版ダボス会議として株式会社グロービス創業者の堀義人さんが創設したG1サミットという会合で10年ほど前に知り合いました。九州の公立高校出身同士ということもあるからか「パイセン」と私を呼んでくれる飾らぬ人柄とユーモアあふれる方なのですが、経営者としては学ぶことだらけです。特にコロナ禍で飲食業界が致命的な痛手を被っている中で、1ミリもくじけず逞しく生き残る手を打たれた上に、むしろイノベーションと発展の経営をされ、ZEROCOという世界的な発明をし実業として軌道に乗せられたことには、感動と尊敬しかありません。

    さてこの欄で楠本さんにつながる方々を見ると、真にダイヤと呼ぶにふさわしい大経営者の方ばかりで驚きます。スケールや年商を比較したら3,000m級のアルプスの頂のような皆様に対して私はせいぜい高尾山。そんな私が示せるとすれば、まだ何者でもない若いみなさんに「人と比較しない自分らしい生き方の喜び」を伝えることだと思っています。

    三浪四留(三年の浪人と四年の留年)。四字熟語のようなこの言葉が私を端的に示しています。大学を卒業したのが29歳。それでも就職したくなくて大学院に逃げ込み(入院と言ってました)、ようやく31歳で卒業。ありていに言うとボンボンの道楽息子。これだけでもこの連載から退場処分を言い渡されそうですね。

    何をしていたんだと聞かれたら、中1から書き続けている日記を通じた自分との対話によって、我流の哲学を積み上げていたことがあります。22歳になったら就活というが絶対か? 一度きり、必ず死ぬことを見つめたら、人生はもっと自由なのではないか。その年齢その年齢で一番やりたいことに熱中して生きていければよいのではないか。この自分が集中して仕事に挑めば、他人の二倍三倍の税金を払える人間にも金持ちにもなれるだろう。しかしそれで50代まで突き進んで、成し遂げて遊ぼうと思ったところで体力にも限界があるだろう。遊ぶならピチピチした今でしょう。そう信じていました。あの頃の自分に今の私が師匠としてついていたらドヤしつけるし、今と異なる人生にもなっていたと思いますが、幸か不幸かバカ青年は野放しになってしまいました。

    1959年3月14日に母の実家である熊本県の天草で生まれ、人吉市で育ちました。母の愛情は確信を持てていましたが、弟を溺愛する父との関係が微妙で心が弱く、オネショで車酔いで学校では場面緘黙(ばめんかんもく)でもあった私が、小3と小6の恩師のおかげで自信を持ち努力できる人間に変わり、高校の野球部で精神年齢がはるかに高い素敵な同級生の女性と付き合い様々な教えを受け、ジョン・レノンのソロアルバムと出会ったことで、しなやかに強く変化していきました。町のチーマーレベルの遊び人時代の10代から、大学合格後の20代は、映画・絵画・読書・音楽・囲碁・落語・バックパッカー・競馬・競輪・哲学・女性とのおつきあいと、その時々に関心を持ったことにやりすぎなほどにのめり込み、やがて教育という方向性を見出し、30代からは猪突猛進、ひたすらに仕事に打ち込んできました。結婚し、重度の重複障がいを持つ息子が生まれたことも、私を強くしてくれました。

    途中で述べた通り、ここで伝えたいのは若者に「不良や遊び人のダメな時代があっても大丈夫。自らの心を見失わず己の資本を直視し、自分を騙さずに生きてほしい。あなただけのゲームを設定して満喫して生きてほしい」ということです。私は66歳の今も、教育を選んで良かった! と確信を持てる日々です。子どもたちは皆もうただ可愛くて、授業や野外体験の場は眼が開けられないくらいにまぶしい日々です。三浪四留でも肥しとして活かし逆転できました。「あなたにはあなただけの人生が必ず構築できる」というメッセージが伝われば幸いです。少し変わり者の半生をご覧ください。

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