
なぜオタフクソースは「お好みソースの代名詞」とな...
6/26(木)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/06/24
世界での携帯電話普及率が96%以上の現代にあって、創業から70年以上「無線機器」一筋で販路を広げ、世界的市場を獲得している企業がアイコム株式会社だ。完全国内生産で、現在約180もの国と地域で使用されており、売上高の7割弱が海外というグローバル企業。無線機メーカー、井上電機製作所として1964年に事業をスタートした同社は、1990年に株式上場し、2022年には東証プライム市場へと移行した。現在代表取締役を務める中岡洋詞氏は、創業者の井上徳造氏(現・代表取締役会長)の薫陶を受け、25年間にわたるアメリカ勤務で事業を大きく拡大させ、2021年、社長に迎えられた。無線という武器ひとつで世界での存在感をさらに発揮しつつあるアイコムの真の強みとは、そして今後の展望とは。中岡社長に伺った。
アメリカに住むのももちろん初めてで、当時はインターネットもGPSもない時代ですから、空港に行って地図を見てイエローページで電話をして、ということを愚直にやるしかありませんでした。しかもミッションとして、アイコムという会社の名前を知らないところに行け、アイコムを知らないところのドアをノックして来いと言われて、がむしゃらにやるしかなかったのです。当時の社長に「マネージャーはみんな50州を回るものだ」と言われて、1年半かけて必死に走り回ってようやく終えたと報告したら、「すごいな! そんなことをやったやつはいないぞ」と言われました。
どうでしょうか。とにかくやると決めたらやり抜くしかない、がむしゃらさが大事、と伝えてはいるのですが、同時に、いかに上司の命令でも疑問に思ったら聞くことも大切だよ、と言っています。その点、当時のアメリカの社長、ボブ・ブロンコウさんは「何でも聞いてくれ」というオープンな方でした。厳しい方でしたが、頻繁にやり取りをしてくれて、ここはどうだったとか? あの街は楽しいぞとか、とても面倒見のよい方でした。
ボブ社長には他にも大切なことを数多く学びましたが、今でも肝に銘じているのが、「成功を自分の成功と思うな。君の部下の成功なんだ。それを絶対忘れるな」という言葉です。当時社員は60名程度でしたが、業績は良く、3カ月に1度、業績発表の場があり、ボブと私は社員分のパンケーキとソーセージを焼いて、コーヒーも振る舞って皆をねぎらいました。部下への感謝の気持ちを忘れないこと、そして大事なのはちゃんとそれを言葉にして、態度で示せということを、教わりました。
そうですね。当時、国防総省がアメリカ以外の企業の無線機器を扱った例はありませんでした。入札情報は得たものの、軍用の規格を狙って製品づくりをしているわけではなかったため、当社のエンジニアもとても受注は無理だろうと考えていました。会社としての判断は「ミルスペック対応の製品設計には1年以上かかる」と保守的なものでしたが、私自身は今まで営業として自社製品を扱ってきて、その機能や品質には自信がありました。その感覚を信じて絶対に方法があると思って進めた結果が良かったんですね。当時、既存製品を用いた試験を行ったところ、見事にミルスペックをクリアしており、結果として同省からその製品力の高さを評価され、当時のレートで約50億円になる大きな取引になりました。同省からすると従来の5分の1程度の価格となり、今の5倍の人数に無線を配備できることで、無線機を持てず亡くなる兵士や職員が減る、と大変に感謝されました。
その後、アイコムアメリカの社長に就任して、米国の連邦航空局(FAA)のTSOという技術規格を我われのトランシーバーが取得することができました。これはあまり新聞記事にはなっていないのですが、この取得で一台一台の認証の必要なく航空機に無線機を取り付けることができるものです。同規格認定は欧州航空局(JAA:現・EASA)がFAAと協定を結んでいたため、欧州の通信機器メーカーが取得するケースは多いのですが、逆にいうとそれ以外は難しい。名だたる総合電機メーカーをはじめとした大手企業も取得を目指していましたが、日本企業としては私たちが初めてだったと思います。これも国防総省と同様で、なんとか突破口を探して切り開きたいというがむしゃらな気持ちで挑んだ例のひとつです。アメリカは契約社会ですから、あらゆることがルールで決まっていて、その通りにやらなければブレイクできないと我われは思いがちです。けれど、私の場合はいつも、様々な「例外」にチャレンジする気持ちを持っていました。その精神が功を奏したのだと感じています。
そうですね。先生であって、メンターであって、親のようでもあり……神様といったら言い過ぎでしょうか。実は入社1年目の頃から私は目をかけていただいて、英語も喋れないのに海外のお客様との面談の場に立ち会わせてもらったり、いろいろなことを経験させてもらいました。とても感謝しています。
私たちにとって創業者である井上の存在は今も大きく、会長はいわばスーパーマンです。アマチュア無線が好きで、それを組み立て、修理も自分自身でやる。そうして事業を拡大していき、国内拠点はもちろん、海外の販売拠点も井上が作ったものです。
私が入社した頃から会長にずっと言われていた言葉に、「王道を歩め」があります。営業でも技術開発でも真っ向勝負しろ、ズルをするな、という意味だと受けとめていますが、実は最近改めてこの言葉を思い起こす場面がありました。比較的若手の営業部の社員を集めて会議を行ったときのことです。一人の社員から「営業を成功させるには、どういう心持ちで何を大切にして仕事をしたらよいでしょう?」という質問があり、私はごく普通の答えをしたのですが、営業の担当執行役員が「道徳心」と言ったんです。あえて裏をかいたり、お客様に言うべきことを言わずに案件を進めてしまう、そういうことは絶対にするなと。
その執行役員の言葉を聞いた時、創業者が半世紀以上前から言い続けていることが理念としてこの組織に受け継がれていると感じて感動しました。その執行役員は「王道を歩め」という会長の言葉を意識したわけではないと思います。創業者の考えを、知らず知らずのうちに体現していた。そのことが素晴らしいし、私も同じことを目指したいと思っています。
実は2回辞退をしています。私どもはメーカーですから、トップは技術者であるべきだと思います、とお答えしていたんです。さすがに3回目は腹を決めることにしましたが、井上会長と同じことをやるのは無理だと言いました。「みんなで考える、合議制でやります」と伝えると、「それでいいよ」と言われました。井上の社長時代は、組織がそこまで大きくなかったこともありますが、トップダウンの体制でした。今、私が社長になってからはその部分は、みんなの意見をできるだけ聞くという形に変化してきていると思います。
もちろん全員ではないですが、気になる人材がいたら面談をさせてほしいと希望しています。例えば海外営業は、将来、現地法人の幹部になってもらうことを念頭に置いていますから重要だと考えています。英語話者は多いのですが、ドイツ語やフランス語は少ないので、なかなか難しいですね。海外で活躍できる人の採用活動については、今後も積極的に進めていきます。また、新卒の人材も大切だと考えていて、毎年50~60名の採用を目指しています。採用については人事部と一緒に10年プランを作って組織づくりをしているところです。
実は「携帯電話の分野には進出されないのですか」と聞かれることがあります。我われが携帯電話に参入してすごく伸びる可能性もあるのですが、競合相手は巨人ばかりですから、そこを目指してはダメなのではないかと思っています。これほどまで携帯電話が普及していても、無線機にしかカバーできないところは確実にあると考えています。
無線機のメリットは、携帯電話と違って中継局がなくても通話できる、すなわちインフラを必要としないことがまず一つ。また、通話したいと思ったらすぐに話せる即時性、一回の発信で大人数にメッセージを送れることも大きな特徴で、携帯電話でカバーできないエリアです。こうした無線機の優位性を見据えていけば当社でも競争できますし、社会のお役に立てることがまだまだあります。
例えば防災というのは、我われが目指すべき重要な分野の一つだと考えています。東京に本部がある事業構想大学院大学で、社会人を対象とした「総合防災共創イノベーションプロジェクト研究」というものが始まったのですが、そこに当社の社員を2名参加させることにしました。このプロジェクトには大手ゼネコンさんなども加わっていて、様々な角度から防災について学ぶものです。自然災害やビル火災など、様々な場面で無線技術をどのように活かすことができるか。それを考え研究してもらうことで、防災に貢献できる新規事業につながるかもしれない。そうしたことを考えています。
また現在開催されている「EXPO 2025 大阪・関西万博」には、IMVさんという地震計メーカーとのコラボレーションで、地震を探知して通信を即時に確保することができる通信衛星対応の監視装置を提供しています。これは一つの例に過ぎず、災害時に無線機がお役に立てることがまだまだあると思っています。
70年以上の歴史の中で培われてきた様々な無線技術やセールスネットワークは、我われにとって貴重な財産です。今後の当社にとって必要なのは、いたずらに売上を伸ばすことではなく、こうした我われの財産を社会に役立てていくことではないか。その先には必ず業績もついてくるはずです。これから20年後、30年後の社員たちも同じように考えてくれれば、きっとうちの会社は生き残り、成長し続けることができると思っています。