
「自立」と「自律」の心で、新しい空間を創造する
6/6(金)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/05/28
「ビーバー」という名前のお菓子をご存知だろうか。石川県の北陸製菓株式会社が1970年から製造販売している揚げあられで、さまざまな味の展開で『北陸のソウルフード』と呼ばれ地元で親しまれているお菓子である。
同社は1918(大正7)年に石川県で創業し、「家族みんなが安心して食べられるお菓子づくり」をテーマに「hokka(=北菓)」の愛称で親しまれている老舗メーカーだ。現代表の髙﨑憲親氏は、26歳で8代目代表取締役社長に就任し、今年(2025年)33歳になる若き経営者である。髙﨑氏はビーバーの売上を6年間で約15倍にまで伸ばし、7年連続増収増益へと導く成長ぶりで世間を驚かせた。「あくまで偶然が重なった部分があります」と言うが、そこには、周到な分析と社を挙げての必死の努力があった。このたび、急成長の背景について髙﨑社長に伺った。
はい。弊社は私で8代目となりますが、6代目までは、いわゆる「直系」の会社ではなかったのです。髙﨑家に全く関係のない先輩方が、初代から5代まで活躍されてきて、6代目で私の祖父が社長になりました。次に私の父が7代目になり、初めて北陸製菓の歴史の中で髙﨑家が続いたのです。
私自身は小学校、中学校とバスケットボールに夢中になり、高校はバスケで推薦入学をしました。本当にバスケ一色の学生でしたので、父が会社の経営者であることを意識したこともほとんどなかったです。ところが、大学2年か3年のとき、父に言われて中国出張に同伴したことが、大きな転機となりました。
当時父はアジア進出に力を入れていました。中国のお客さまから「お互いの息子同士を会わせたり、お互いの家族を紹介しあうことが次の信頼につながる」のだと言われて、私を同伴させたのです。家業を継がないといけないということではないから勘違いしないように、とも言われ、私自身も後継者としてというわけではなく、海外旅行についていくような気楽な気持ちで「行きます!」と承諾しました。
ところが中国出張が近づくにつれ、「父の顔に泥を塗るわけにはいかない」という気持ちになってきて、自社について真剣に調べ始めました。どんな商品をどうやって製造しているのか、初めて詳しく知りました。それから実際に父が中国の方々と商談する姿や、父と同行されている方々の立ち居振る舞いに感銘を受け、出会った方々もとても素敵な方々ばかりで、私にとってはとても貴重な経験となったのです。
何よりも大きかったのが、中国でもすでに弊社のお菓子が並んでいる、その光景を見たことでした。「この会社で活躍したい」「北陸製菓のお菓子の美味しさと笑顔を世界に届けたい」と、ちょっと大げさなようですが、そう考えるようになったのです。 そして父に「北陸製菓に入社したい」と伝えました。
現在はビーバーが主力となっていますが、もともとはビスケットやクッキーにも力を入れていました。ただ私としては、北陸製菓の会社名よりも先に名前が浮かぶような、自社ブランドのコンテンツを作らければならない、という強い思いがありました。「北陸製菓って何を作っている会社なのか?」ということを、わかりやすく世の中の皆さまに知っていただくことが重要だと思ったのです。とはいっても、一から商品を作るのはなかなか難しい。そこで「ビーバー」を全面に押し出そうと考えました。この商品には絶対にポテンシャルがあると思ったんです。ちょうど私が社長に就任した翌年が「ビーバー」ブランドの50周年だったことも、きっかけの一つでした。お菓子のブランドが50年続くこと自体すごいことですし、この商品のことを日本全国、世界の人に知ってもらいたい、と考えました。
「ビーバー」はかつて、福屋製菓(2代目、初代は福富屋製菓)が生産や販売を行っていた米菓でした。名前の由来は、1970(昭和45)年に開催された日本万博博覧会(大阪万博)でカナダ館に展示されていたビーバー人形の前歯が「あられを2本、並べた形に似ている」という発想から得たということです。
このキャラクターを発売当初からパッケージに付けてくれたことが、とてもありがたかった。キャラクターを全面に出して着ぐるみを展開し、SNS等を通して知名度を広げていきました。キャラクターは、世代や国境をも超えた共通言語となり得るものですし、誰もが親しみをもって接してもらえます。
ただいきなり全国へ、海外へと言っても、それほど甘いものではない。製菓業界は価格や容量で競い合う市場で、省人化が進んだ効率的な大手企業に比べたら、より安く売ることは難しくなります。そこでまず、全面的な価格競争に巻き込まれないよう、北陸で圧倒的に売れるブランドを作ろうと決めました。この方針のおかげで、地元のお客さまや北陸地域のメディアの方々にも助けていただけることになったのです。テレビで取り上げていただいたり、ビーバーの着ぐるみを売り場に立たせてもらったり、スポーツ会場で応援に参加させてもらったりと、本当に盛り上げていただきました。
フレーバー展開はとても重要な戦略です。最後は私も食べてみて商品化を決定するのですが、美味しいのは大前提で、手に取ってみたいと思ってもらえるような面白さがなければならない。実際に商品が並ぶスーパーやドラッグストアにはたくさんの商品があり、基本的に消費者は『推し』のお菓子から手に取っていきます。ただ商品が並ぶだけではだめで、ここから知ってもらったり、食べてみたいと思ってもらえるようにと考えています。また、金沢すいか味など、北陸のものを発信していくといった戦略もあります。
また、弊社は「家族みんなが安心して食べられるお菓子づくり」ということをコンセプトに1918年から金沢の地でお菓子をつくり続けてきました。こだわりの基本製法は、100年前と変わっていません。「ビーバー」も同様で、このお菓子は製品になるまで一週間をかけて作っています。味付けの工程まではどの商品も同じで、フレーバーを付けるのが最後の工程になります。そのため、最初に味を練り込むビスケットやクッキーとは異なり、いろいろなフレーバーを楽しめるのが「ビーバー」の特徴でもありますが、ベースの味わいは懐かしいままで、昔からのファンの方にも親しんでもらえています。
現在、おかげさまで「ビーバー」は全国での展開をさせていただいていますが、レギュラー商品のうち「白えびビーバー」、「のどぐろビーバー」などは北陸限定商品として販売しています。まずは北陸地域から全国へ、そして世界へ、という思いは今も変わっていません。
八村選手とのご縁も、まったくの偶然ではありますが、我われが「北陸で一番になりたい!」という思いを持っていたからこその縁でもあります。八村選手は富山出身ですから。やはり、北陸地方へのこだわりが根底にあります。
また相撲界からも、石川県金沢市出身の炎鵬関が「ビーバー」のファンであることを公言してくださって、2019年にはビーバーのイラストの化粧廻しを贈呈。炎鵬関の監修による「塩バターちゃんこ鍋」味のビーバーも作りました。
八村選手のケースは偶然がきっかけでしたが、私としては気持ちが固まった部分があります。つまり「全国どこでも買えるお菓子を」と目指していたわけですが、何もそのために急ぐことはなく、当初の目標通り「北陸で一番!」を目指すことが大事だったということです。
ドラえもんとのコラボ商品も手がけて、こちらもかなりの反響をいただきました。こうしたコラボ商品の展開はスピード感が大切だと考えていて、営業は大変だったと思いますが、弊社にとっては売上を伸ばし成長を実感できる重要な経験となりました。
八村選手が起爆剤になったとはいえ、この爆発を一過性のもので終わらせないというのが我われのグランドプランです。実際にその後売上は落ちることなく右肩上がりの成長を続けており、製造、営業企画、さまざまな部署が一つになってやり遂げた成果で、本当にスタッフ一同には心から尊敬と感謝をしています。
まず、一つの会社が100年続くというのは、本当に大変なことです。これまで諸先輩方が並々ならぬ熱意と努力を重ねてこられて今があるということは、常に肝に銘じていることです。
ただしそれを踏まえて、もっと良い会社になっていくには、やはり何かが変わらなければならない。この会社が大好きだからこそ、もっと良い会社にしたかった。本当にいろいろなやり方があることも念頭に置きながら考え抜いて、最後には「ビーバー」を全面的に押し出し会社を飛躍させることを決めました。「ビーバー」は必ずトップを取れる商品なんだ、北陸で一番、そして全国に飛び出して行ける商品になる、ということを社内で言い続けていました。ここ数年は本当に、八村選手の爆発以降目の回るような日々が続いていますが、これもすべて、先ほども言ったように、スタッフの努力のたまものです。
会社組織としてはやはりスピードと対応力が大切。そして価格や内容量で勝負するのが当たり前の製菓業界の常識を疑うことが重要です。現在100名ほどの組織ですが、年2回は全社員と面談をして、社長に言うべきことを言える状態を心がけています。
もう一つ、私が感じているのが「お菓子にはたくさんの価値がある」「お菓子はメディアになり得る」ということです。
たとえば「ビーバー」が話題になって売上が北陸でトップになった時は、北陸地域のコンビニ、スーパー、ドラッグストア、雑貨屋さん、電気屋さんで、ほぼ「ビーバー」が並ぶような状態になったのです。それだけ皆さんの生活習慣の中に、このお菓子が入り込んでいるということですし、「ビーバー」のパッケージが街中で散見されるようになり、テレビCMや大きな予算をかけて作る広告に匹敵するようなメディア効果がある、と実感しました。
最新の話題でいうと、誰もが知る大手企業からコラボ商品のご提案をいただきました。他の企業とも組める中で、あえて北陸ならば、と我われを選んでくれた。これは本当に嬉しいことで、ここ数年の私たちの努力が実ったと実感できたお話でした。
こういった一つひとつの「点」を、自分たちだけで「線」にすることができたら優秀ですが、点を打つことで縁に恵まれている会社でもあるので、点を打ち続けることによって線にしてまいります。また、「ビーバー」はお菓子の一つですが、単なるお菓子のブランドで終わらせずにブランドのスケールを広げて育てていくこと、そして我われはお菓子という商品の前に、笑顔を届ける企業でありたいと考えています。