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「岩に水一滴、いつかかなう」母の言葉を胸に20年。おかしのまちおか社長が語る、ゼロから築いた上場体制と「他人の痛みがわかる」組織
ビジョナリー編集部 2026/07/13
2025年7月、お菓子専門のディスカウントストア「おかしのまちおか」を展開する株式会社みのやが、東証スタンダード市場への上場を果たした。その道のりは、2005年に証券会社からかかってきた一本の電話から始まったという。当時、上場の知識も専門部署もゼロ。社長自らが現場でピッキング作業をしていたという状態から、いかにして上場企業としての体制を築き上げたのか。創業者である両親から受け継いだ「信用」と「継続」の哲学、そして「他人の痛みがわかる」仲間たちと目指す未来像について、代表取締役社長の正木宏和氏に伺った。
20年越しの目標達成。上場のきっかけは一本の電話だった
2025年7月に上場を果たされました。20年来の目標だったそうですが、まずは率直な思いと、上場を目指されたきっかけを教えてください。
ありがとうございます。2025年の7月に上場しましたが、きっかけは2005年の12月末に遡ります。日経新聞の地方版に載った小さな記事を読んだ証券会社の方がいらっしゃって、「上場を目指しませんか」と声をかけてくださったんです。記事に載らなければ、上場という発想すらなかったと思います。
正直に申し上げると、その時、私は上場の意味すら知りませんでした。商売しかしたことがなく、お菓子の注文を取って配達し、メーカーに発注するという日々を、実質一人社長のような状態で回していましたから。役員会もなければ、管理部もない。そんな状態でした。
ですから、証券会社の方からお話をいただいた時も、 深く考えずに「じゃあ目指しましょう」と反射的に言ってしまった感じです。「わかりました、じゃあ目指します」と。そこからすべてが始まりました。
「ハリボテ」から始まった組織づくり。上場準備が経営のすべてを教えてくれた
当時は管理体制が全く整っていなかったとのことですが、そこからどのようにして上場企業としての体制を作り上げたのでしょうか。
何もないので、まずは経理などを含む管理部のようなものから作りました。上場経験のある人を採用し、役員もいなかったので「じゃあ、あなたとあなた、役員ね」というような形で、まずは形から入りました。中身はできていないのに、形だけ整えていく。「ハリボテ」のような状態からのスタートです。
上場準備には、とにかく時間がかかりました。証券会社からは、主に労務管理等の内部管理体制について指摘され、体制を整えていきました。2005年からスタートし、2020年のコロナ禍では、創業して以来初めての赤字も経験しました。
長年、経常利益率が1%程度しかないような状態でも、私たちは上場を目指し続けました。2007年頃から18年近くもお付き合いいただいた監査法人さんには、本当に支えていただきました。
振り返れば、 上場準備を通して、経営のすべてを学んだ と思っています。特に法令遵守の徹底ですね。おかげさまで、ハラスメントやコンプライアンス違反が許されないという厳しさが、会社全体に浸透しました。
現在(2026年7月)、パートさんを含めると2,500人を超える組織になっていますが、この規模でチェーン展開を続けるには、全社的な内部統制の構築が不可欠です。上場を目指し、自分たちを律し続けてきたことが、結果的に会社の土台を強固にしてくれました。
原点は「掃除好き」な父と「商売上手」な母。受け継がれた「和」の精神
社長ご自身のキャリアや、ご両親である創業者のお話を聞かせてください。
私は小さい頃からお菓子に囲まれて育ちました。2階が自宅で、1階が小売も兼ねた卸の店でしたから。
父が岐阜の出身なので、「美濃の国」から「みのや」という屋号をつけました。父は商売そのものよりも「掃除が好き」な人で、倉庫を片付けて綺麗にすれば満足、というような人でした。近所の公園の掃除を頼まれてもいないのに朝4時に起きて15年も続け、その姿を見ていた町の方の声が市長まで届き、表彰されたこともあります。私が会社に入ってからも、経営はほとんど私に任せきりで、「やっといていいよ」という、おおらかな父でした。
一方、母は苦労人でした。埼玉から東京に出てきて、工場勤めなどを経て、お金を貯め、中野で喫茶店の経営者になったんです。そこで卸に来ていた父と知り合いました。
会社の理念である「和」は、まさに両親の役割分担そのもの でした。母は、田舎から出てきた従業員たちの「おふくろさん」のような存在で、貯金の仕方から結婚の段取りまで面倒を見て、社内の「和」を築きました。父は、対外的な付き合いが好きで、外との「和」を大切にしていました。
父からは 「対外的な信用力」 を学びました。父は仕入れのお金を値切ったりせず、必ず請求額通りに払う。人をいじめるようなことをしない。だから問屋さんからの信用が厚かった。母からは、従業員を大切にすること 、そして「あんたね、岩にちょっと水一滴垂らしといてみな。何十年も垂らすと穴が開くでしょ。ずっと同じことを思っていれば、いつか貫徹できるんだよ 」という言葉を教わりました。上場までに20年近くかかりましたが、この母の言葉が頭に残っていたから、「いつかできる」と思い続けられたのかもしれません。
サラリーマン志望から一転。「お菓子屋」への道を拓いた
社長はもともと家業を継ぐ気はなかったと聞きました。
大学に入った頃はサラリーマン小説を読み、会社勤めに憧れていました。継ぐ気はなかったですし、父もそれでいいと思っていたようです。
転機になったのは、学校への興味を急速に失ってしまったことです。大学に退学届を郵便で出してしまってから、「辞めたよ」と両親に事後報告しました。そしたら「大阪の菓子問屋さんへ修業に行きなさい」と言われ、2年間修業に出されました。
会社に戻ったのは26歳の時です。そこから社長になる直前の46歳頃まで、約20年間、私はずっとセールスマンでした。注文を聞くだけでなく、配達も荷出しも自分でやっていました。
卸の営業を続けていましたが、1997年に小売の1号店を出したことで、私の目の色が変わりました。卸だけでは会社を大きくできなかったと思いますが、小売には違う面白さがあったんです。
1号店でお菓子以外の「スポット品」として仕入れた安いカップ麺を50ケース送ったら、たった1日で売り切れてしまった。スーパーでも50ケースは売れません。 「いいものを仕入れて安く売れば、こんなに売れるんだ」 と、小売の可能性に夢中になりました。
「他人の痛みがわかる人」と未来を創る。自然と育まれた“助け合い”の風土
最後に、今後の展望と、どのような方々と「まちおか」の未来を作っていきたいかお聞かせください。
「まちおか」らしさの基本は、4つの「良い」です。「良い場所に」出店し、「良い店」(クリンネス)を作り、「良い商品」(価値ある格安品)を揃え、「良い方法」(ルール遵守)で運営する。これがお客様の「楽しさ」や「安らぎ」に繋がり、差別化になると考えています。この4つの「良い」は、中期経営計画のトップメッセージや、年間行事である経営計画発表会の際に全従業員に向けて強く発信しております。
目標としては、10年後に300店舗超を掲げています。 これからの未来を創っていく上で、私が何よりも大切にしたいのは、 社員、取引先、そしてお客さまとの「和」 です。この三者のバランスが崩れると、どこかに歪みが出てしまいます。 ですから、一緒に働きたいのは、まず 「大局的に物事を考えられる人」 。そして、 「真摯に仕事に向き合える人」 、最後に 「他人の痛みがわかる人」 です。
最近、まさにそれを象徴するような出来事がありました。子どもができた熱心な男性店長が、「育児休暇を取りたい」と相談してきたそうです。すると、彼の上司や総務の担当者がミーティングを重ね、「安心して休んでくれ。あとは我々で考えるから」と、彼の育休を後押しする体制を整えてくれたんです。
私はその話を日報で知ったのですが、一切指示は出していません。休む本人もその対応に感銘を受け、「戻ってきたら今の倍は頑張る」と話してくれたと聞きました。
仲間がそうしたいと願うことを、周りが自然と支えようとする。素晴らしい風土が育まれていることを誇りに思います。社員に子供が生まれたと聞くと、まるで自分の孫が生まれたかのように一緒に喜んでしまうのですが、これも、従業員を家族のように大切にしていた母の姿と重なるのかもしれませんね。


