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「人の命を守る」が原点。創業100年の鉄道インフラ企業が貫く“誠実さ”と、社長が語る「人とともに、人のために。」の未来
ビジョナリー編集部 2026/01/06
1926年の創業以来、約100年にわたり日本の鉄道交通インフラを支え続けてきた三工社。機械式信号の国産化から始まり、現在はLED色灯信号機やATS(自動列車停止装置)など、社会に不可欠な安全製品を供給し続けている。その根底には、創業時から変わらぬ「人の命を守る」という強い信念があった。100周年という節目を迎え、新たに「人とともに、人のために。」というタグラインを掲げた同社。その歴史に宿る“誠実さ”のDNAと、次の100年を見据えた未来への展望について、加藤尚志代表取締役社長に詳しく伺った。
鉄道信号からガス検知器まで。すべての原点は「人の命を守る」こと
創業から約100年、社会インフラの中核を担い続けてこられた背景と、貴社の強みについてお聞かせください。
創業は1926年7月、上田卓爾という者が創業しました。まもなく100年を迎えますが、これは代々の経営幹部や社員、そして創業時から連携していた国鉄(現在のJRなど)との関係があってこそだと感じています。上田卓爾は戦後間もない昭和24年(1949年)、国鉄職員の教育のために設置された施設の一つ、三島鉄道教習所にて信号保安機器について教鞭を執ったり、業界団体の設立・発展に尽力したという記録があります。
創業当時は、輸入品だった「機械信号」という、駅のレバーで転てつ機や信号機を動かす装置を国産化し、納入していました。戦後は、現在の赤・青・黄の信号機や、信号見落としによる追突を防ぐATS(自動列車停止装置)の地上子(運行の制御のために線路内に設置された装置)なども手がけるようになりました。
ただ、創業者は鉄道信号以外の分野も考えていました。その原点には 「人の命を守る」 という強い信念があります。例えば、昔の貨物ヤードでは、仕分けされて分離徐行している車両に人が飛び乗って貨車のブレーキをかける、危険な作業が行われていました。そこで、安全に車両を止めるパーツを開発しました。
ガス事業も同様です。当時はガス爆発による死亡事故が多かったため、「ガスを検知する装置を作ろう」と考えたのです。全くの異業種ですが、当社のコア技術である電子工学や化学を組み合わせて製品化し、各地の炭鉱や公共施設などで幅広く使われました。
これらを含め多くのものは、当時の「人の命を守る」という信念と、そして社会の重要なニーズから生まれた製品です。インフラ事業を担うというよりは、人の命をどう守るかを考えた結果、それがインフラになった のだと思っています。そのような「良い製品」が結果的に長く使われ続けている。それをこれからも提供していくのが私たちの使命です。
検査合格品さえハンマーで叩き壊す。創業者から受け継がれる「誠実さ」というDNA
創業の精神が受け継がれていると感じます。現在の貴社の組織には、どのような特色や空気感がありますか。
企業理念として品質確保や納期厳守はもちろんですが、それ以上に 「誠実であること」と「お客様からの信頼」 を大切にしています。
当社は本当に真面目な人間が多い。他社の方からも「三工社さんの皆さんは真面目ですね」とよく言われます。この真面目さがお客様との品質向上の取り組みにつながり、信頼となっている。それが長年続いている理由だと思います。
創業者自身、特に「技術と品質」には厳しい人だったと聞いています。有名な逸話ですが、国鉄の検査員が合格を出した製品でさえ、創業者自身が納得いかなければハンマーで叩き壊した そうです。
また、昔の手書き図面では、ダメな図面は赤鉛筆でバツをつけたとか。赤鉛筆は消しゴムで消せませんから、一から書き直しです。それだけ「自分が納得のいかないものは世に出したくない」という強いこだわりと、社員に成長してほしいという想いがあったのでしょう。
業界初のLED色灯信号機は、阪神・淡路大震災の復興を支えた
機械、電気、化学の3つの工学を集積した一貫体制が特徴ですが、印象的な開発エピソードがあれば教えてください。
創業時は機械信号から始まりましたが、時代と共に電気、さらに樹脂成形などの化学といった、多様な技術を組み合わせて製品を作ってきました。
象徴的なのがLED色灯信号機です。当社は早くからLEDに着目しており、信号機メーカーの中でも早々に開発を進めていました。当時はまだ赤や黄色しかなく、最後に青(緑)の発色と輝度が十分な製品ができたことで、3色信号機の開発が完了しました。業界の中でも一番早くLEDの鉄道信号機をラインナップした と自負しています。
私たちが3灯式のLED色灯信号機を完成させたのが、ちょうど阪神・淡路大震災(平成7年)の頃でした。それまでの信号機は鉄製の筐体(きょうたい)で非常に重かったのですが、私たちの新製品は素材を樹脂にして軽量化を図っていました。地震で重い信号機は柱ごと倒れてしまったため、復興事業において「少しでも軽いものにしよう」ということで、当社のLED色灯信号機が採用され、大阪から一気に普及 していきました。図らずも、震災復興のお手伝いができたことは、大きな経験です。
100周年のタグラインは「人とともに、人のために。」社員の総意が示す未来
100周年を迎えるにあたり、新たにタグラインを制定されたそうですね。
はい。100周年を迎えるにあたり、「社会を支えるものづくり」という考えのもと、社員からアンケートを募ったところ、最も多く出てきたキーワードが「人」でした。そこで決まったのが 「人とともに、人のために。」 というタグラインです。

私の中で、この「人」には3つの意味があります。それは、社員、お客様である事業者様、そしてその先にある社会全般 です。この3つの「人」とともにあり、「人」のために貢献していくという思いが込められています。
当社の製品は安全に係わるものですから、一歩間違えれば衝突や脱線といった死傷事故に繋がりかねません。ですから、社員には「私たちは、安全に係わる重要な製品を造っている」という、社会の安全を支えている意識がベースにある。そうした風土があるからこそ、「人」という言葉が自然と上がってきたのだと思います。
「物を作りたい」という情熱を支援する。これからの人材育成
人材の教育にも力を入れていらっしゃいます。人を育てる上で重視されていることは何でしょうか。
私たちはメーカーですから、OJTで 「手で技術をつける」 という部分を重視しています。労働人口が減る中で、人を確保し、育てていくことは最重要課題です。
幸い、工場がある甲府には工業高校もあり、「ものづくり」に興味を持ってくれる学生さんはまだ多くいます。
AIが労働を置き換えていく中、腕に確かな技術を持つ人材が求められます。一人ひとりの個性や「やりたいこと」に合わせたキャリアパスを見定め、そこを伸ばしていくことが必要です。特に、新しい技術や手法に自ら挑戦しようとする社員が何人かいます。全員を一度に引き上げるというよりも、そういった自発的な動きを「思いっきり支援する」 。そうすることで、全体が引っ張られていくと考えています。
採用面接でも、成績や模範回答より、その人が何をしたいのか、どれだけ興味と探求心を持って突き進めるかを見ています。特に高校生は、入社後に大きく「成長する」可能性を感じますね。根底に 「物を作りたい」という情熱 がある方と共に切磋琢磨していきたいです。
100年先ではなく「10年先」を見据える。産業全体で未来を創る
最後に、100周年を迎え、次の100年に向けたビジョンをお聞かせください。
まず、従業員には社会状況が大きく変わっていると繰り返し伝えています。労働人口が減り、特に鉄道産業は就労希望者が減少し、インフラの老朽化も進んでいます。また、乗客の定期収入も減少傾向にあり、コスト削減や「省力化」(自動運転など)が急務です。
当社の使命は、鉄道信号製品を継続して供給し続けることです。これは会社の存在意義であり、社員の誇りでもあります。しかし、今のままではいけない。鉄道産業の中で、当社一社でできることには限界があります。これからは鉄道産業全体で取り組んでいくことになります。
正直に申し上げて、100年先を見通すことはできません。 私の役割は、20年後を見据えて10年のための施策を立てること、10年後を見据えて3年の経営戦略を実行する ことです。100周年という節目は、創業の精神に立ち返り、改めて自社の役割を考え直す良い機会となりました。 幸い、社長として多くの事業者様や同業者と意見交換する機会をいただきました。守るべきは「鉄道産業」そのものです。ともに手を組み、手段が違っても目的を共有し、鉄道産業全体を盛り上げていきたいと考えています。


