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妊娠期の不安により早産リスクが17%上昇―福島原発事故から見えない「心の被害」
ビジョナリー編集部 2026/04/08
「不安」が胎児に影響を及ぼす事実
東日本大震災および福島第一原発事故の発生から、早くも15年という月日が流れました。この未曾有の災害が社会に与えた影響は計り知れませんが、最新の研究によって、物理的な被害とは別の「目に見えない脅威」が次世代の健康に牙を剥いていた可能性が浮き彫りになりました。
早稲田大学などの研究チームが発表した内容によると、原発事故後に全国へ広がった「放射線への不安」そのものが、妊婦の心理的ストレスとなり、胎児の健康に悪影響を及ぼしていたといいます。特筆すべきは、放射線被ばくがほとんど確認されていない地域においても、出生アウトカム(医学的介入や妊娠中の環境が母体と新生児にもたらす結末)の悪化が確認された点です。
研究チームは、Google検索データから独自に構築した「不安指標」を活用。その結果、不安の水準が高い地域ほど出生アウトカムが体系的に悪化するという、いわゆる「用量反応関係」(※1)が示されたと報告しています。
100万件のデータとGoogleトレンドが明かした「不安の正体」
これまで、災害が胎児に与える影響については多くの研究がなされてきました。しかし、地震や津波のような災害は、心理的なトラウマと物理的被害、そして経済的混乱が同時に発生するため、これらを切り分けて分析することは極めて困難だとされてきました。
この難題に対し、早稲田大学商学学術院の富蓉(フ・ヨウ)准教授、ソウル国立大学のソン・ユンキョウ准教授、神奈川県立保健福祉大学の沈奕辰(イチェン・シェン)助教、早稲田大学の野口晴子教授らによるチームは、画期的な手法を導入しました。
約100万件の出生記録と国勢調査データを結合し、さらにGoogleトレンドの検索データから「検索人気指数(SPI)」を構築。このSPIは、事故直後に急上昇した「放射線」に関連する検索行動を数値化したもので、妊婦の抱える不安を反映する指標として機能したといいます。
分析の結果、不安の水準が高い地域の妊婦では、早産(※2)が約17%増加し、出生体重も22~26グラム低下していたことが明らかになりました。さらに、この影響は教育水準や所得が比較的低い層でより顕著にみられたという事実は、災害による心理的ストレスが既存の健康格差を拡大させる可能性を示唆しています。
本研究成果は、国際学術誌『Journal of Health Economics』に掲載され、2026年3月7日にオンライン版が公開される予定です。

図:福島原子力発電所からの距離と原子力施設の立地状況別にみた放射線不安(論文より)
※縦軸:Google検索データから作成した検索人気指数(Search Popularity Index: SPI) ※横軸:福島原子力発電所からの距離(km)
※凡例 ▲ 運転中の原子力発電所がある都道府県 ■ 停止中の原子力発電所がある都道府県 ● 原子力発電所がない都道府県 ○ 分析から除外された都道府県 ●(紫)2010年(事故前)の全都道府県
「不安」がもたらす経済損失は「約6,000億円」規模か
今回の研究で最も注目すべき点の一つは、心理的ストレスがもたらす「経済的コスト」の甚大さです。研究チームの試算によると、不安の増大に伴う出生アウトカムの悪化が、将来的な生涯賃金の損失に換算すると、影響を受けた世代全体で約4,800〜6,100億円規模に達する可能性があるというのです。これは医療費や特別支援教育費を含まない数字であり、実態はさらに膨らむことも予想されます。
研究チームは、この「目に見えない脅威」への対策として、以下の3つの重要な示唆を提示しています。
- リスクコミュニケーションの重要性: 科学的根拠を超えて恐怖を過度に強調するメッセージは、次世代に長期的な悪影響を及ぼす可能性がある。
- 妊娠期のメンタルヘルス支援: 災害対応において、妊婦への心のケアを重要な要素として位置づける必要がある。
- 社会的弱者への優先的支援: 社会経済的に不利な立場にある人々ほど影響を受けやすいため、重点的なサポートが求められる。
今後の展望と課題:パンデミックなど「新たな脅威」への応用
もちろん、課題も残されています。SPI指標は都道府県単位のデータであるため、個々の妊婦の不安を完全に反映しているわけではありません。今後、認知能力や教育達成度への長期的な影響をモニタリングしていく必要があるといいます。
一方で、今回開発された「デジタルトレースデータを用いて集団レベルの不安を測定する手法」は、パンデミックや気候変動といった、現代社会が直面する他の「目に見えない脅威」にも応用できると期待されています。
研究責任者のコメント
責任者の富蓉(ふ・よう)准教授は、福島原発事故からわずか47日後に日本を訪れ、遠く離れた地域でも人々が抱える深い不安を目の当たりにしたといいます。「不安や恐怖だけで、胎児に悪影響を及ぼすことがあるのか」という問いから始まったこの協働研究。研究チームは、「危機の際により明確なリスクコミュニケーションと適切なメンタルヘルス支援があれば、今を生きる人々だけでなく、まだ生まれていない命を守ることにもつながる」と強調しています。
用語解説
※1 用量反応関係(dose-response relationship): 原因の強さ(曝露量)が増すにつれて、結果として生じる効果の大きさも体系的に増大する関係である。本研究では、不安が高い地域ほど出生アウトカムが悪化する傾向を指す。
※2 早産(preterm birth): 妊娠37週未満で生まれること。新生児期において呼吸器疾患や発達上のリスクが高まることが知られている。
※3 検索人気指数(Search Popularity Index: SPI): 本研究で開発された指標である。福島原発事故後に各都道府県で放射線への不安がどの程度高まったかを、Googleトレンドの検索データを用いて定量化したもの。
※4 補償的行動: 子どもが健康リスクや不利な環境に直面した際に、その影響を軽減するために親がとる行動である。例えば、食事や健康管理の改善、医療サービスの利用、教育投資の増加などが含まれる。
※5 早稲田大学ソーシャル&ヒューマン・キャピタル研究所(WISH): 持続可能な社会の実現に向けて、社会福祉や人的資本に関する実証研究および理論研究を行う早稲田大学の研究所。(https://prj-wishproject.w.waseda.jp/en/index.html)
論文情報
- 雑誌名: Journal of Health Economics
- 論文名: Invisible threat, tangible harm: Radiation anxiety and birth outcomes after Fukushima
- 執筆者名(所属機関名): Rong Fu*(早稲田大学・コロンビア大学)、Yunkyu Sohn(ソウル国立大学)、Yichen Shen(神奈川県立保健福祉大学)、野口晴子(早稲田大学)
- 掲載日時(現地時間): 2026年3月7日(オンライン公開)
- 掲載URL:https://doi.org/10.1016/j.jhealeco.2026.103125
- DOI: 10.1016/j.jhealeco.2026.103125
研究助成
- 研究費名: 厚生労働省科学研究費補助金
- 課題番号: 19-FA1-013、19H05487
- 研究代表者: 野口晴子(早稲田大学)
- データ利用承認: 統発1005第2号
- 倫理審査承認: 早稲田大学倫理審査委員会(2021-HN010)


