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2025

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    「逆境の順境は心の構え方一つでどうにでも変化するものである」第20代内閣総理大臣・高橋是清に学ぶ逆境の捉え方

    「逆境の順境は心の構え方一つでどうにでも変化するものである」第20代内閣総理大臣・高橋是清に学ぶ逆境の捉え方

    「逆境の順境は心の構え方一つでどうにでも変化するものである」

    この言葉を体現した日本近代史上、稀有なリーダーがいます。それが、第20代内閣総理大臣の高橋是清です。彼の波乱万丈な歩み、そして何度も困難を突破した独自の思考法は、現代を生きる私たちに多くのヒントを与えてくれます。

    奴隷から総理大臣へ——常識を超えた激動の人生

    高橋是清は1854年、江戸の下町で生まれました。父は江戸幕府の御用絵師、母は家に仕えていた女性。生後間もなく武士の家系である高橋家に養子に出され、幼少期から複雑な家庭環境で育てられました。しかし、幼い是清は持ち前の楽天的な気質と旺盛な向学心で、周囲の大人たちにもかわいがられたと言います。

    12歳になると、英語力を磨くため横浜に送り出され、ヘボン式ローマ字の基礎を築いた医師ヘボンの塾で英語を学びます。しかし、ここでも順風満帆とはいきませんでした。好奇心旺盛な一方で、素行も破天荒。芸者遊びや飲酒の噂が絶えず、藩の留学生に選ばれることはありませんでした。

    それでも彼は諦めません。留学の道を探して奔走し、ついにアメリカ行きの機会を得ます。しかし、ここで彼を待っていたのは、まさかの奴隷生活でした。渡米後、ホームステイ先の家族に騙され、牧場や葡萄園で牛馬の世話、薪割り、家事一切を強いられる日々。しかも、自分が奴隷契約を交わしていたことにすら気づいていなかったのです。

    このあまりにも過酷な経験を、彼は一時的な「辛い勉強」と捉え、ひたむきに耐え抜きました。そして周囲の日本人の協力を得て、ついには自由を勝ち取り、密かに帰国を果たします。困難に屈せず、むしろその中で英語力や交渉力を身につけたことが、後の大きな財産となったのです。

    何度失敗しても這い上がる——大切にしたのは「人との縁」と「頼まれごと」

    帰国後も、彼の人生は決して平坦ではありませんでした。文部省で英語教師となるも、酒と遊びが過ぎて職を失い、芸者の付き人として身を落とした時期もありました。知人の助けで農商務省の官吏となり、特許制度の整備や知的財産の保護に尽力。しかし、またしても大失敗が訪れます。ペルーの銀山経営に乗り出すも、詐欺に遭い全財産を失ってしまったのです。

    それでも彼は諦めませんでした。失敗を糧に人とつながり、求められればどんな役割でも全力で取り組む。頼まれごとには真正面から応え、成果を出して信頼を積み上げていく。この「頼まれた仕事への誠実さ」と「人との縁を大切にする姿勢」こそが、是清の人生を再び動かし始めます。

    こうした経験を通じて彼が大切にしたのは、「目の前の困難や失敗を一時のものと捉え、自分の心の持ちよう一つで状況を好転させることができる」という楽観的かつ実践的な思考法でした。

    世界を驚かせた交渉力——日露戦争の戦費調達という大仕事

    その後、日本銀行に招かれた高橋是清は、日銀副総裁として日露戦争の戦費9億円の調達という前代未聞の大仕事を任されます。海外での日本国債発行には厳しい視線が注がれ、「日本がロシアに勝てるはずがない」と多くの投資家が懐疑的でした。

    しかし是清は、英語力や人脈を最大限に活用し、「日本人は最後の一人まで戦い抜く」という説得力あるメッセージを発信。粘り強い交渉と信頼構築によって、ついに巨額の資金調達に成功します。これは、彼がどんな逆境にも動じず、「必ず道は開ける」と信じる精神に裏打ちされていたからこそ成し遂げられた偉業でした。

    金融恐慌のパニックを治めた「信頼」と「柔軟な発想」

    昭和2年(1927年)には、鈴木商店の破綻を契機とした金融恐慌が発生。預金者の取り付け騒ぎが全国に広がり、銀行休業が相次ぐ未曾有の危機となります。蔵相に抜擢された高橋是清は、ここでも大胆な決断力を発揮しました。

    彼はモラトリアム(支払い猶予令)を即座に発令し、預金封鎖によってパニックの拡大を防ぎました。さらに、「銀行には十分な紙幣がある」と人々の不安を払拭するため、裏面が白紙の急造紙幣まで店頭に積み上げさせるという前例のないアイディアを実行します。この「見せる安心感」が功を奏し、預金引き出しのパニックは一気に沈静化。社会の信頼回復に大きく貢献しました。

    ここでも、彼が持つ「人々の心理を見抜く力」「臨機応変な柔軟性」、そして「是清ならきっと何とかしてくれる」という圧倒的な信頼感が、日本経済を救う原動力となったのです。

    大切にした政治信条——「国民のための財政」と「健全な民主主義」

    高橋是清の政治信条には一貫性があります。彼は「国民生活を守る財政政策」を重視し、景気が悪いときには積極財政で雇用や産業を下支えし、過剰なインフレや軍拡の機運が高まれば、たとえ軍部の反発を買ってでも緊縮財政を打ち出しました。

    また、政党政治や議会制民主主義の発展にも尽力し、民間出身の原敬とともに「大正デモクラシー」を支えました。「権力者の都合ではなく、国民一人ひとりのために政治はあるべきだ」という信念が、彼の行動の根底にありました。

    最期まで貫いた「信念」——そして二・二六事件へ

    晩年、81歳になってもなお、蔵相として日本の財政運営に立ち続けた是清。しかし、財政再建のため軍事予算の削減を断行したことで、軍部の恨みを買うことになります。そして1936年、2月26日。青年将校によるクーデター(二・二六事件)で自宅を襲撃され、その生涯を閉じることとなりました。

    最期まで「日本の未来のために信じる道を貫く」ことを恐れず、あらゆる逆境に立ち向かった是清。その存在は、今も多くの人の心に強く刻まれています。

    高橋是清が私たちに遺したもの——「逆境は心の持ちようで順境になる」

    高橋是清の人生から、私たちは一体何を学べるのでしょうか。
    彼は、自らの経験を通して「どんな逆境も、心の持ち方ひとつで順境へと変えられる」ことを証明しました。失敗や困難に直面しても、それを一時のものと受け止め、むしろ新たな学びや人との絆に変えていく。それが、彼の根本的な生き方でした。

    また、「人から頼まれたことには全力で応える」「成果を出して信頼を積み重ねる」「自分を必要としてくれる人々のために最善を尽くす」という姿勢は、現代のビジネスや社会活動においても、多くの共感を集めています。

    今、私たちが想像もできない困難に直面している時こそ、「心の構え方」を問い直す好機です。高橋是清が実践した「逆境を順境へ変える力」を、あなた自身の人生や仕事にぜひ活かしてみてはいかがでしょうか。

    #高橋是清#歴史から学ぶ#リーダーシップ#逆境力#自己啓発#日本経済#信頼を築く

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