
「失敗はわが師なり」失敗を恐れず突き進んだ大隈重...
9/27(土)
2025年
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ビジョナリー編集部 2025/09/26
山県有朋――日本近代史の転換期において、軍人から政治家へと転身し、内閣総理大臣を二度務め、帝国陸軍の創設や官僚制度の確立など、多岐にわたる功績を残しました。しかし、同時に「悪役」「強権的」というイメージも付きまとい、現代でも賛否が分かれる存在です。
なぜ山県はそうした評価を受けたのか。本当に彼は独裁的な権力者だったのか――。今回は、山県有朋のチャレンジ精神や信念、そして現代に通じる学びについて、彼の足跡をたどりながら考察します。
「人と違う道を歩むのは怖い」――そんな思いを抱いたことはありませんか?現代のビジネスパーソンであれば、新規事業や職場改革で“前例踏襲”の壁にぶつかった経験があるかもしれません。
山県有朋は、まさに「誰も歩んだことのない道」を突き進んだ人物でした。
1838年、長州藩の武士の子として生まれた山県は、幼少期から厳格な武士道教育を受けて育ちました。その一方で、彼はただ伝統に縛られるのではなく、西洋の軍事・政治制度に強い関心を抱き、独学で知識を深めていきます。
幕末の動乱期には、倒幕運動や新政府樹立の中心人物として活躍。まさに“虎が寝そべる野辺”に自ら飛び込み、維新の荒波を乗り越えたのです。
山県が生きた時代、日本は欧米列強の圧力を受け、国家存亡の危機にありました。彼は「このままでは日本が取り残される」という強い危機感を持ち、自らの知見とリーダーシップで、新しい国家基盤の構築に挑みます。
ここに、山県有朋の「チャレンジ精神」の原点があります。
「私は一介の武弁にすぎない」
山県が総理大臣となった後も、繰り返し口にした言葉です。
山県は自らの原点を決して見失いませんでした。軍人としての経験を最大限に活かし、国家の安全と独立を最優先とする。その徹底した姿勢が、帝国陸軍の近代化や徴兵制度の創設、さらには地方自治制度の確立といった、日本の基盤づくりにつながったのです。
現代のビジネスでも「自分の強みをどう活かすか」は重要なテーマです。山県のように「得意分野に徹する」ことが、組織や社会への大きな貢献につながる。これは、すべてのリーダーにとって普遍的な学びではないでしょうか。
「弱い羊だけが群がっている世の中など嫌だ。虎の寝そべっている野辺を突き進め」
この言葉には、山県の人材観・組織観が凝縮されています。
山県は、単なる寄り合い所帯ではなく、志と実力を持った“虎”のような人材を求めました。傷の舐め合いを嫌い、甘えや妥協を排し、本気で切磋琢磨できる仲間とともに自らを磨き続けたのです。
実際、彼は自分が認めた人物には徹底して厚遇する一方、安易な妥協や情実には厳しかったといわれています。この姿勢が誤解され、「えこひいき」や「冷酷」と見なされることもありました。しかし、その根底には「日本を世界に伍する強い国にする」という、揺るぎない信念があったのです。
組織の成長には、時として厳しい選抜やリーダーの決断が欠かせません。山県は、実力本位で人材を登用し、責任をもって育てる――その覚悟を貫いたのです。
ここから学べるのは、「全員平等」や「八方美人」に陥るのではなく、組織や社会の進歩のために必要な“厳しさ”の価値です。
山県有朋は、功績が大きい一方で、「官僚主義」や「強権的」「保守的」といった批判も浴びがちです。なぜ、こうしたイメージがついて回るのでしょうか。
山県は、近代国家の運営には効率的な官僚制度と中央集権が不可欠だと信じていました。そのため、官吏登用や地方自治の制度整備に力を注ぎ、「お上主導」の体制を構築します。
これが後の「官僚主導国家」「民衆不信」といった批判につながりますが、当時の混乱した日本をまとめ上げるには不可欠な戦略でもありました。
また山県は、政党政治を拙速に導入することには消極的でした。「健全な民主化のためには、土台となる制度や人材育成が先だ」と考えていたためです。
しかし、「時代遅れ」や「旧弊」と見なされやすいこの姿勢には、実は深い現実主義と遠慮深さがあります。山県自身、議会制民主主義の意義を否定していたわけではなく、選挙制度の拡大や立憲制導入にも関与しています。
西南戦争や日清・日露戦争など、山県は常に「難題」や「批判の的」となる局面で第一線に立ち続けました。人気者にはなれなくても、「国家を支える黒子」としての責任を全うし続けたのです。
現代ビジネスでも「嫌われ役」を買って出るリーダーが不可欠です。山県のような覚悟がなければ、組織や社会の大転換は実現できません。
山県有朋の生き方や信念には、現代にも通じるヒントが詰まっています。
「弱い羊だけが群がる世の中」は、安定や安心の象徴かもしれません。しかし、イノベーションや成長は、そこから一歩踏み出した先にしかありません。山県のように、“虎の野辺”に果敢に飛び込む勇気が、企業や個人の未来を拓きます。
変化の時代には「何でも屋」よりも、「この分野なら負けない」という専門性や信念が求められます。山県の「私は一介の武弁」という自己認識は、自己ブランディングやキャリアデザインの観点からも示唆に富んでいます。
切磋琢磨を重んじ、厳しい選抜主義を貫いた山県ですが、本当に認めた人材には厚い信頼とサポートを惜しみませんでした。厳しさと温かさを両立するリーダーシップは、信頼される組織運営に不可欠です。
組織や社会のために、自分が批判されることも覚悟で決断する――。山県のようなリーダーがいるからこそ、困難な転換期を乗り越えられるのです。
山県有朋は、時に誤解され、時に嫌われながらも、「日本という国全体」の未来のために、自らの信念と専門性を貫き続けたチャレンジャーでした。
彼の「虎の寝そべる野辺を突き進め」という名言には、現状に満足せず、リスクを恐れず、信じた道を歩む勇気が込められています。
今、あなたはどんな“野辺”を突き進みますか?
山県有朋の生き方に学び、“虎”のような勇気で、自分の道を切り拓いてみてはいかがでしょうか。