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トヨタが描く「安心と挑戦」の最適解。社員のライフデザインを支援する“グラデーション”の考え方
経済産業省 2026/03/02
トヨタが描く「全員活躍」の処方箋。現場の若手が“すごろく”で学ぶ、キャリアと人生のリアル
トヨタ自動車が大きな舵を切ったのは2023年のことだ。全社員一人ひとりの「多様性」を活かしつつ「成長」を促し、産業全体に「貢献」していくという「全員活躍」の理念を労使間で共有。これは、深刻化する人手不足を背景に、社員が自らの人生においてキャリアをどう位置づけるかを問い直す、同社にとっての転換点だったという。
トヨタにはもともと、育休や時短勤務、復職制度など、仕事と家庭の両立を支える多様な制度が整っていた。しかし現在は、それらを単なる福利厚生ではなく、個々の暮らしに紐づいた「自律的なキャリア選択のツール」として活用してもらうための取り組みを強化している。その一環として実施された「ライフデザイン講座」の現場を取材すると、人事部労政室の加藤吏グループ長と松雄香怜氏が抱く、新しい人材戦略の姿が見えてきた。
▲トヨタが実施したライフデザイン講座の様子(2025年11月)
具体的イメージを伝える講座で「自律的な判断」を促す
「仕事面だけでなく、生活面においても多様性をサポートできないかと考えて、初めてこの講座を実施することにしました」
2025年11月、車両の開発や試験を担う技能職の20〜30歳代を対象に行われた研修の冒頭、加藤氏は参加者にこう語りかけた。
トヨタの労政室は、育児・介護といった両立支援制度の企画・運用を担っている。この日行われたのは、産前・産後・育児期間に焦点を当てた、いわば「ライフ面」に特化した講座だ。同社には階層別のキャリア研修は数多く存在するが、ライフ面に重きを置いた講座は初めての試みだという。
「『全員活躍』を掲げる中で、自律的に判断できる社員を育成するためには、キャリアだけでなく、人生の中でどう仕事を位置付けていくかという視点が必要だと考えました」と、加藤氏は開催の狙いを明かす。
トヨタ単体でも社員数は約8万人に上る。デスクワークが中心の事務・技術職とは異なり、生産現場に近い技能職は、会社のキャリア制度や福利厚生といった情報が届きにくい傾向がある。人事部としてはその点に危機感を抱いており、今回の講座対象をあえて技能職に設定したという。
任意参加でありながら、募集対象の世代からは定員28名を上回る応募が寄せられた。講座は、特定非営利活動法人manmaの協力のもと、すごろく形式で進行。2人1組で産休や育休、時短勤務を疑似体験し、制度の必要性を学びながら、仕事・生活・経済環境の変化をリアルにイメージしていく。いつ育休を取り、復職後は時短にするのか。参加者には都度、主体的な判断が求められた。
▲産前・産後・育児を疑似体験するすごろくに取り組むトヨタ自動車社員ら。奥は講座を担当したmanma講師
参加者からは「知らなかった会社の制度に触れるいい機会になった」「ふわっとしか考えていなかった出産や育児に具体的なイメージが持てた」との声が上がった。松雄氏は「制度にも選択肢があることを知り、一人ひとりの“両立観”を実現してほしい」と、確かな手応えを感じているようだ。
「グラデーション」で示す、多様な両立支援の選択肢
トヨタにとって2023年の「全員活躍」宣言は、社員の「ライフ」を真剣に見つめるきっかけとなった。加藤氏は「採用が難しくなる中で、社員一人ひとりの持つ価値観に対応するためには、ライフ面での会社サポートが不可欠だという考えに至った」と、その意識の変化を語る。
▲社員のライフデザインをサポートする必要性を語る加藤氏(右)と、松雄氏
同社は以前から、多様な時短勤務や託児所、キャリア・カムバック制度(配偶者の転勤等による退職者の復職)、アルムナイ採用(退職者の再雇用)など、幅広いメニューを揃えてきた。しかし、それらがライフステージの課題と密接に結びついて訴求できていたわけではなかった。
現在は、これらの制度を「グラデーションのある両立観に対応する選択肢」と再定義している。介護や転勤帯同、あるいは「プライベートを優先したい」「働く時間を確保したい」といった個々の希望に合わせ、生活支援の仕組みと組み合わせた展開を強めているのだ。
こうした取り組みは、着実に社員の意識を変えている。育休取得が浸透しにくいとされる生産現場や海外拠点を抱えながらも、男性の育休取得率は70%に迫る勢いを見せており、「改善が見られ、大きく上昇した」と松雄氏は指摘する。
▲社員の両立支援に向けた制度を説明する松雄氏
「100年に1度の変革期」にある自動車業界。生産ラインにもロボティクスやAIが導入される中、指示された仕事をこなすだけではない「自律性」が求められている。「生活面の研修で学んだ選択肢が、結果として自律的な仕事の姿勢につながる」と加藤氏。松雄氏もまた「人生を考えることが、仕事のやりがいにも直結する」と、両者の不可分な関係を強調する。
「自律」と「安心感」の両立が、社員の可能性を広げる
トヨタでは、会社の承認を前提とした兼業・副業も認められている。IT系エンジニアや講師など、申請は多い時で1日10件程度に上るという。
さらに来年からは、新たな人事制度「キャリア支援休職」を導入する。配偶者の転勤への帯同だけでなく、専門性を高めるための学業も休職事由に含まれる、画期的な休職制度だ。
「トヨタの社員という心理的な安全性を持ちながら、新たな可能性に挑戦できる」と松雄氏が語るように、社員のリスキリングを後押しし、目の前の仕事を超えた成長を促す狙いがある。
教育の内製化と外部活用のハイブリッド
トヨタが技能職向けに長年行ってきたキャリア研修は、社内の有資格者が講師を務める「内製化」が基本だ。「組長」や「工長」といった上位階層が現場の悩みに寄り添いながら教えるスタイルが、現場のミス防止や意識改革に効果を発揮してきたからだ。
一方で、今回着手したライフデザイン講座については、アプローチを変えるという。「キャリアとは異なり多様な価値観が求められる領域。少なくとも現時点では社内講師による内製化は難しく、外部の知見をうまく活用していくことになる」と加藤氏は分析する。
今後は、20〜30代だけでなく、世代間ギャップを埋めるためにマネジメント層への受講も検討していきたいという。
個人の人生を尊重することが、企業の成長へとつながる——。トヨタの挑戦は、日本企業の人材戦略に新たな一石を投じることになりそうだ。


