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2025

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    日本メンズファッション協会理事長の奮闘――存続危機から輝く業界団体へ

    #24日本メンズファッション協会理事長の奮闘――存続危機から輝く業界団体へ

    原石からダイヤへ

     業界を盛り立てるという意味では、日本メンズファッション協会(MFU)とのかかわりも私にとって重要なものだ。現在理事長を務めているが、これは一段と強い覚悟のもとで請け負ったものだった。

     この協会は昭和36年、VANの創始者で日本のメンズファッションの第一人者とされる石津謙介氏が提唱し、当時ファッションの中心地である大阪で任意団体として設立された。昭和47年に通産省(現・経済産業省)から社団法人として認可を受け、その後昭和60年ごろまで紳士服業界の活況に後押しされ活発な運営をしていた。ベストファーザー賞やベストドレッサー賞などの事業もその時に始めたものだ。

     しかし全盛期が終わると、ファッション業界全体、とりわけ大阪の主要紳士服メーカー6社の業績がことごとく悪化した影響がMFUに波及し、長年専務理事を務めていた方でも立て直しが困難となり、債務超過に陥った。

     20代からMFUに関わっていた私は、当時筆頭の副理事長になっていたが、「もう次は八木原さんに理事長をやっていただくしかない」という話が出てきた。家族には反対されたが、状況は悪化するばかり。私は意を決して受けることにした。2002年のことである。

     理事長として改めて経営収支を見てみると、とても手が付けられる状況ではないことに愕然とした。MFUはデザイナーが中心となって運営されていた団体で、採算の管理が全くできていなかったのだ。

     そこで私は、抜本的な改革に踏み出した。大阪の事務所を閉めて東京に一極集中し、事務局も6人から2人に削減。各事業や経費を全面的に見直し、採算の見込みがない事業は停止した。これらの改革の結果、債務を3年間で全て返済することができた。そして現在に至るまでの23年間、安定しつつ活発な事業運営ができている。

     MFUは、今やファッション業界で一番輝いている団体だという自負がある。業界団体のどう多くあるが、業界が縮小してしまい、社会に対し満足な働きかけができていない団体も少なくない。一方、MFUのベストファーザー賞やベストドレッサー賞などは、毎年メディアにも取り上げられ盛り上がりを見せている。その要因は、私たちがその時代を象徴する人を、その時々でしっかりとフォーカスできているからではないか、と考えている。

     政治経済、学術文化から一人、男性俳優に女性俳優、そしてスポーツ、インターナショナルと部門を作って選んでいるが、単に人気タレントを集めているわけではない。社会貢献をベースとし、あしなが育英会への基金贈呈式を組み合わせ、子供が作文を読むイベントも実施している。社会貢献と国連がSDGsで定めた持続可能な社会の実現、そして世界平和と、この3つをコンセプトに進めている事業なのだ。その意義を理解していただいているからか、芸能人の方々には無報酬でご出席いただいているということもある。

     私たちはMFUを、メンズファッション団体と銘打っているが、その核心は、ライフスタイルの提供であると考えている。社会に新たなライフスタイルを提唱し続け、協賛するスポンサーの方々にも満足いただけるような、社会的意義のある活動をこれからも行っていきたい。

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