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2025

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    信頼で結ばれた東急・野本弘文会長との絆

    #25信頼で結ばれた東急・野本弘文会長との絆

    原石からダイヤへ

     日本メンズファッション協会(MFU)の理事長に就任した2002年当時、業界の衰退は顕著であった。そこで私は、他業種の方々との協業を意識した。内向きに業界を相手にするのではなく、ライフスタイルをテーマに、それぞれの業界でナンバー1に輝いている企業とかかわりをもつのだ。

     そうしてMFUの特別会員として加わっている大企業の一つに、東急グループがある。その野本弘文会長とは、昔から深い交流があった。

     今から25年ほど前、渋谷区の桑原敏武前区長の提唱で、渋谷区の活性化を図るための有識者会議が実施されたが、その中に当時は東急の社長だった野本さんが名を連ねていた。そこから頻繁に会う形になったが、「はじめまして」と挨拶を交わす間もなく、たちまち意気投合して親しくなった。桑原前区長と野本さんに私と、この3人は特に人間としての感触が合っていたように思う。

     野本さん自身もずっと東急のトップを務めながら、商工会議所の副会長や日本小売業協会の会長として、財界活動を非常に多く引き受けていた人物である。そういう意味では私と共通していたものがあったし、実際に接点も多かった。そうした経緯もあり、この200の企業を傘下に抱える一大グループのトップとは非常に親しくなった。

     一昨年も、私の孫の結婚式の主賓としてお話をしていただいたこともあった。去年のベストドレッサー賞授賞式の際も、乾杯の挨拶を野本さんにしていただいたが、受賞者が7人いる前で「今日私は八木原さんに命令されてイヤイヤ出てきた」などと、冗談まじりに話していたのも、良い思い出である。

     野本さんもどんどんステージを上げられていったが、フランクでかつ深い人間関係を続けることができて、非常に恵まれたと私自身は思っている。Happy原宿版の動画撮影のとき、「桑原区長(当時)と野本会長、そして私のうちだれか一人でも難色を示したらやらない」と、松嶋啓介シェフに言われたことも、私たちのつながりの深さを示すものだ。

     東急グループは、事実上の創業者とされる五島慶太会長が1959年に死去して以来、叩き上げでその時々の優れた人が社長、そして会長になっている。彼らの多くはおおよそ70歳ほどで一線を退くが、野本さんにいたっては、77歳になっても代表取締役会長としてグループの代表を務めている異例の人物だ。日本の財界にとっても、その存在は貴重である。

     渋谷の街づくりにおいて、東急の存在感は非常に大きい。鉄道だけではなくライフスタイル全般に関わりながら、洗練された土地開発を行い、非常に魅力的な沿線の街づくりをされていると感じている。現在は渋谷駅周辺の開発を進めているが、5~6年後に完成した時には文字通りの未来都市ができあがると私は期待している。

     人との出会いから深い関係になるには、いくつかの要因がある。心から人柄に惹かれ、「この人と付き合いたい」と思われる方に出会えることは、なかなかないものである。私にとって野本さんとは、そういう人物なのである。

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