
ファッションロータリークラブで得たかけがえのない...
5/22(木)
2025年
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八木原 保 2025/05/20
会社を始めて2、3年になり、研鑽のためにアメリカやヨーロッパに1人で旅行に行っていた時、一つの重要な出会いを得た。
JALパックのツアーに参加して、初めて単身でアメリカに行った。するとそこには、ビームスの設楽洋社長のご両親である、設楽悦三さんと設楽恭子さんのご夫婦が参加しておられた。設楽悦三さんは新宿で新光紙器株式会社(現・新光株式会社)を経営し、段ボール加工事業を展開しており、主にロッテ製品の製函で業績を築いていた。「血のにじむような苦しい思いで仕事をして、どうしたらいいのかと常に悩んでいた」という話を伺うとともに、自分の好きなことを楽しみながら生きている方で、とりわけファッションに非常に関心をもっておられることがわかった。
そして、趣味が高じた末に原宿に店を構えたということも話題にのぼった。「アメリカンライフショップ・ビームス」のことだ。「アメリカン・ライフスタイルを提案する」というコンセプトの、6.5坪ほどの小さな店をオープンしたのだ。ちなみに後にわかったことだが、その出店したビルは、奇遇にも私の友人が所有していたものであった。
その時以来、設楽さんご夫婦とは長くお付き合いをさせていただいた。絶対的な関係といえるほど深い仲を築くことができた。原宿に店を構えていたから、旅行先で知り合わなくともいずれは接点を持つことになっていたかもしれないが、こんな不思議な縁があるのかと思うほどに交流を深めていった。ビームスとは今の設楽洋社長とも仲良くさせていただいているが、ご両親との結びつきが強かった。残念ながらお二人とも亡くなられてしまったが、付き合いは57~58年にわたった。
設楽洋氏も、非常に才覚があり、天才的なひらめきを持った方である。慶應大学を卒業して電通に入社したのち、ちょうど日本がファッションに目覚めたころ、設楽悦三さんや重松理氏とともにビームスの展開を始めた。最初は「電通にいたほうが楽ではなかったか」とも言われたそうだが、今や彼らは天下のビームスと称されるほどに名声を確立している。世界を、また社会のさまざまなところを見ながら事業を展開することのできる、凄い方である。
そんな彼らとの出会いと交流は、自分の事業にとってもまた重要な意味を持つものになった。ファッションロータリークラブでの研鑽を通し、ビームスの研究熱心な関係者たちから多くを学ぶことができたからである。