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2025

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    地域の有力者との交友から商店会の顔へ

    #17地域の有力者との交友から商店会の顔へ

    原石からダイヤへ

     ここで、私を受け入れて地元の商店会に迎え入れてくれた方たちのことと、その時のいきさつなどを振り返りたい。

     昭和45年、私は原宿セントラルアパートの一階に初めての直営店を設けることができた。初めは米軍関係者など特別な人々を対象とした共同住宅として建てられたこの建造物は、コピーライターやイラストレーターにカメラマンなど、クリエイティブな活動をする人たちがオフィスを構え、いわば原宿の情報発信基地といった趣があった。そこにニットの直営店を構えてから、GIMのブランドの認知度を一気に高めると同時に、店をもったことで地元商店街の有力者たちとのかかわりが多くなり、人間関係が一気に広がっていった。

     そのうちの一人が神宮前3丁目の町会長だった丹治健蔵さんで、私と出会ってから私を引き立ててくれた。丹治さんは原宿3丁目で工務店を経営しており、特に神宮前地区のために献身的に動いていた人であった。奈良木材の奈良光男社長と二人で、まるで身内のように私のことを目にかけてくれて、原宿の各町会の役員や商店会の幹部を次々と紹介してもらえた。

     そのような流れで地域の中でも大きな一角を占める形となり、丹治さんからは「原宿の街を良くするためには何をしたら良いのか」と相談を受けるようになった。そして『原宿会』というものが発足した。会長は丹治さんになっていただき、合計7人で原宿の将来について考え、アイデアを出し合っては実行に移した。発足から10年は丹治さんが会長を務め、その後体調を崩されたので私が会長を務めた。

     そうして地元の商店街の皆さんと交流を重ねるうちに、神宮前一帯を「東郷神社のお膝元にふさわしい安心、安全で明るく元気で魅力ある街にしよう」という運動がもち上がった。私たちは地元の商店の理解を得ながら組織作りに努力し、商店会を発足させた。そうして平成15年3月にできたのが「原宿神宮前商店会」であり、私は推薦を受け初代会長に就任した。

     発足にあたって基本方針も話し合った。商店街は個々の商店が繁盛しながら地域全体が発展していくことが理想だが、地域になじまない店が現れたり無秩序に発展したりすることは地域の調和を乱すことになる。従って商店主一人一人が「その街に住む人・商う人」の自覚をもって、「安心、安全、明るく元気な魅力ある街にしよう」という思いを一つにしなければならないと確認した。原宿独特の空気や緑を大切に守りながら、きれいな街づくりを目指すことにした。

     もともとはよそ者だった私だが、原宿神宮前商店会立ち上げの時点ではもう38年が経過していた。地域の人たちとこのような形で深い関わりができたことは、自分の人生の中では非常に大きな出来事だったのではないかと思っている。それだけに私の原宿に対する思いは強く、もはや根っからの原宿人だと自覚するようになっていた。

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