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2025

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    世界でオンリーワンな街・原宿の魅力

    #16世界でオンリーワンな街・原宿の魅力

    原石からダイヤへ

     原宿は、ファッションと文化が融合している独自の文化を有している。このような地域は、世界的にも類例がないと思う。

     竹下通りではカワイイ文化が花開き、表参道にはスーパーブランドが立ち並び、明治通りではスポーツファッションが展開され、裏原宿では独特のストリートファッションが育った。たった2平方キロメートルの範囲に、これら4つが整っている。銀座のようなところは世界にもいくつかあるが、原宿のような様々なファッションが混在する街は、世界中見渡してもなかなか存在しない。実際、外国のファッションメーカーの人たちも、マーケットリサーチを原宿で行うことが多いという。

     そうした文化を、私たちはさまざまな手法で作り上げてきた。以前にも述べた通り、森ビルと組んでラフォーレ原宿の中にインキュベーション機能を持たせたショップを開いたのもその一つだ。デザイナーの卵たちの面倒を見ながらラフォーレの中に商品を置くことで、平成期には50ほどのブランドを誕生させることができた。これは当時業界でも画期的な出来事であり、夢があった。若くて十分な資金を持っていない人でもチャンスがあり、チャレンジすれば成功する可能性があった。現在は、家賃が20万近くもかかり、若い人たちがチャレンジする場所がない。今の若者を不幸だ、と表現するのが果たして適切なのかどうかはわからない。ただ少なくとも、若いデザイナーが夢を叶えられるかという点では、恵まれた環境ではないとはいえる。

     ラフォーレ原宿の取り組みに関しては、私が経営する会社として関わるというよりは個人として動いたという側面が大きい。正確には会社として関わってはいたが、事業に取り組んでいたのはほぼ私と数人だった。僭越ながら「原宿の街を作った」というように言われるのは、そのような個人的なつながりからくる事業を、街のさまざまなところで展開していたからではないかと思う。

     先も述べた通り、私が来たとき、原宿近辺は文教地区だった。50平方メートルまでの土地しか使ってはいけないと言われ、風呂場や住まいなどの居住実績がないと事務所も設けられないという環境だった。ただ、だからこそ多様なネットワークを築くことができた。現在、普通のアパレル業者の経営者なら、世田谷に住んだり横浜に住んだりして、昼間にオフィスへ通勤する人が多数である。しかしそれでは、地域の接点を得ることが難しくなる。

     一方でここに定住し、子供を地元の幼稚園や学校に通わせるような生活をしていれば、町会や商店会とのつながりができる。そして愛着も湧くため、一緒になって街を良くし、原宿の魅力を作っていくという人の心意気に感銘を受けて協力関係を築いていけた。

     原宿神宮前商店会の会長として、さまざまな地域活性事業に関わったことにはそのような想いが根底にあった。

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