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2025

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    ビームス発案のきっかけは、父のひと言

    #10ビームス発案のきっかけは、父のひと言

    原石からダイヤへ

     その構想に辿り着いたのには、少し変わったきっかけがありました。そのきっかけとは、父が若い人と飲むことが大好きだった、ということなのです。いつも新宿の歌舞伎町やゴールデン街、新宿二丁目などで、毎日若い人を引き連れて飲みに行ったり、飲みに行った先でまた人と知り合ったりしていました。以前にも述べましたが、僕の実家は大久保の青果市場があるところの近くで、実家とともに工場とオフィスがありました。父はそこから歩いて毎晩新宿まで行くわけです。伊勢丹まで2キロほど歩いては、新宿でさまざまな人と知り合い、知り合う若者の言うことにすぐに賛同して「その商売をやろう!」と意気投合していました。

     例えば、引退した相撲取りに会うと、帰ってきて「ちゃんこ鍋屋をやることにした」といった具合です。その度に母とものすごい喧嘩をしていました。「たった今知り合った人と店をやるなんて!」と。その次に会った人とは「アイスクリーム屋やりたい。そいつにやらせるから」などと言い、ちょうど前が青果市場だったので「市場向けの梱包材料やガムテープを売る店を、家の一部を改造してやるぞ!」などと言い出すわけです。「今住んでるのに、何言ってるの!」とまた始まるのが、日常茶飯事でした。

     そのような中、ある日また若者と出会って帰ってきて、「アメリカのライフスタイルやファッションを売る店をやる!」と突然、言い出したことがありました。これまでたくさん言ってきた中で、初めて僕が賛成し、「それはありだね」と返したのです。ずっと述べてきたように、幼少期からずっとアメリカに憧れていたので、それはありじゃないか、と思いました。

     1975年当時、まだ電通に入社して1年目でしたが、思い立ったが吉日、開業準備をはじめました。その翌年、アメリカのライフスタイルやファッションを売る店として「ビームス」は誕生することになります。

     ビームスを始めた頃、父は「服ってのは、すごいな」とよく言っていました。「ダンボールっていうのは、原材料があって、加工して箱作って『はい、○○円ね』の世界だけれど、服の原材料って布から服にするだけなのに、服によって値段が全然違う。箱とは違ってすごい。原材料はいくら、生地代はいくら、だったらこの値段じゃないか、というものではない付加価値のビジネスだ」と驚いていたのです。

     さらに父は次のように宣言しました。「今まではどちらかというとメーカーだったけれども、今度は商いだから、日銭の入る商売をしよう。今までは『物を包む』商売だったけど、これからは『人を包む』商売をするんだ」、と。そこには大きな「生活」という付加価値がある、という意味があったのです。

    写真引用元:
    伊勢丹新宿店 新宿出店90周年〜新宿の街とともに〜

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