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2025

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    ビームスの盟友のような存在・雑誌「POPEYE」

    #11ビームスの盟友のような存在・雑誌「POPEYE」

    原石からダイヤへ

     前回述べたように、ビームス発案のきっかけは父が飲みの席で知り合った若者との意気投合からでした。新宿で父が出会ったその方は、当時雑誌「Fine(ファイン)」の編集者で、ビームスの原点となる簡易的な企画書を父に渡し、「こういうビジネスをやりたいんです」と相談したそうです。僕は、初めて「ちゃんこ屋よりも、アイスクリーム屋よりも、包材屋よりも可能性があるのではないか」と思いました。

     電通に入社してから、多くの情報が入ってくるようになりました。当時、電通本社前の首都高速の橋を渡ると、平凡出版(現・マガジンハウス)がありました。その方面に昼食を取りに行ったとき、橋の上で大学時代の悪友に会ったのです。彼とは、先に述べた「キャンプストア」などで一緒に遊んだ仲でした。

     彼は学生時代、非常にやんちゃでしたから、「卒業したらきっと、まともな商売につかないだろう」と僕は思っていました。そんな彼に偶然会って、「お前今、何やってんの?」と訊いたら「平凡出版にいるよ」と返ってきました。「週刊平凡」の編集をしているということでした。そんな彼は、のちに「BRUTUS(ブルータス)」の編集も手掛け、「ソトコト」の初代編集長としても名を馳せ、名物編集者となりました。

     入社当時からも、その破天荒な振る舞いで周囲を驚かせていました。例えば、編集経費を事前申請し、編集部で海外へ行くと、一緒に行った部下に経費を配ってしまい、「領収書持ってこいよ」と呼びかけるのだそうです。でも、みなが領収書を持ってこないから、全く精算ができない。1年間ぐらい出社禁止になったということです。そんな調子だったため、彼はいつも社内で「領収書を整理しなさい」と注意されていたらしいです。また、今でも伝説になっていますが、アフリカに取材に行った際に「ゾウ1匹」という領収書を自分で勝手に作成し、経理へ出したりもしたそうです。そういう意味でも、強烈な名物編集者です。

     そんな彼に、少しビームスの構想を話したところ、「『POPEYE(ポパイ)』っていう雑誌が、創刊になるよ」と聞きました。聞くと、「POPEYE」はアメリカの現代的な生活様式を日本に紹介する雑誌だというのです。ちょうど1975年、先立って『Made in U.S.A. catalog』という本が読売新聞社から発刊されました。これは、アメリカの文化や流行を発信する本で、僕にとって非常に衝撃的な本でした。『自分たちがやろうとしていることが本となって出た』というショック。しかし同時に、「やろうとしていることは、間違っていないな」とも確信します。

     この本の編集をした木滑(きなめり)良久氏や石川次郎氏が、平凡出版へ戻られ、雑誌「POPEYE」が創刊となるということなのです。ビームスは1976年2月に開業し、「POPEYE」はその年の夏に創刊となりました。同誌は、若者文化をリードし、社会に大きな影響を与えました。彼には、編集者の方々を紹介してもらって、まだ行ったこともないアメリカの情報を、つぶさに知ることとなりました。

     僕はのちにさまざまな出版社とお付き合いさせていただき、多くの雑誌にお世話になりましたが、「POPEYE」とは特別な関係で、特別な想い入れがあります。来年(2026年)の50周年も、ともに迎えることになります。

    写真引用元: numero&co.ブログ | 「Made in U.S.A.」伝説の続きの始まり 「POPEYE」誕生!

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