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2025

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    アメリカンな街に“アメリカンライフを売る店”を

    #13アメリカンな街に“アメリカンライフを売る店”を

    原石からダイヤへ

     ビームスの開店当時、原宿には明治神宮があるためか、山手線の駅の中で唯一、駅前にパチンコ屋がありませんでした。それどころか、のちの風営法に引っかかるようなお店が全く存在しない街だったのです。だいたいの商業地というのは、百貨店を中心にして、さまざまな路面店がついてくる、というものです。世界の都市のほぼすべてがそうですし、東京の都市も同様です。しかし、原宿にはそういった大資本がまったくなく、狭小店や、のちの裏原などの小さなパサージュがたくさんあるので、若い人たちがお店を出しやすかったのです。当時は、地価もそれほど高くなかったということもあります。

     例えば、セントラルアパートには「レオン」という伝説の喫茶店がありました。その店にのちの横文字商売の人たち、クリエイターやミュージシャン、イラストレーターが集まったりしていたので、文化の香りがありました。

     また、1964年の東京オリンピック前までは、代々木公園のところに米軍のワシントンハイツが存在していました。そのため、洋風の文化が漂っていたのです。当時はキディランドもアメリカンな雰囲気で、ワシントンハイツに駐留しているアメリカ人たちのためのおもちゃ屋さんでした。まだ日本でクリスマスはあってもハロウィンは全く流行っていない、という時代にも、キディランドではハロウィングッズが展開されていました。また、オリエンタルバザーも、アメリカ人に向けて仏像など東洋の商品を売る店でした。

     僕が高校生の頃には、クラシックなオープンカーがハンバーガーショップの前に停まっていて、現在ラフォーレがある場所には教会があってと、ちょっとしたアメリカ映画を観ているような雰囲気でした。映画「イージーライダー」のようなバイクに乗った舘ひろしさんたちが『クールス』というグループで集まっていたり、ファッション関係の若者が集まっていたり、糸井重里氏をはじめ、コピーライターの方たちが集まっていたり。そうした雰囲気を見てきたため、アメリカのライフスタイルを売る店とすれば原宿かな、と思ったのも、この地を選んだ理由の一つです。

     当時はドルがおおよそ360円の時代だったので、海外に行くのもものすごく大変で、商品も非常に高価格になってしまっていました。電通は給料が良い方でしたが、初任給が10万円に満たない時代に、5万円の靴を売っていたのです。しかし、並行輸入で海外に買い付けに行くとなると、どうしてもその価格になってしまいます。

     また、これは母とも大揉めしましたが、社長である父がビームスのオープンのためにパッケージ会社の工場を建てるために、高崎に所有していた土地を売却してしまったのです。売却した価格のうち、店の内装費に50万円、残りは仕入れ資金にあてました。社長のひと声のせいで、担当役員の方たちは大変だったと思います。

     店の改装は、難しいところだけは大工さんに頼み、あとは自分たちで棚を作ったり、ペンキを塗ったりしました。できる限り、仕入れ資金に回したいという考えからです。ちょうど、現在の「ビームス 原宿」の左奥の6.5坪に位置していました。狭いから、UCLAの学生の部屋のような造りに仕立てたのです。真ん中にパイン材のテーブルを置き、ビルにあった排煙窓は青い空に白い雲の柄のカーテンを付けて隠しました。

     当時はアメリカに買い付けに行くにもお金がないので、商品が売れたら行くというサイクルでした。並行輸入の走りです。大きなバッグを持って現地へ行くと、商品を買い付けバッグいっぱいに詰めて帰ってきて、商品を店に並べて売る。売れたらまたその資金で買い付けに行く、といった具合です。店には、テーブルの上に燭台や、お香やネズミ捕り、あとはスケボーのホイールを陳列しました。当然、スニーカーやジーンズ、Tシャツも並べました。しかし、なかなかネズミ捕りや燭台などは売れず、デニムやスニーカーばかりが売れていったのです。そのため、売れればまた衣類を買い付けに行く。こうして、ビームスは次第に洋服屋さんの色が濃くなっていきました。

     当時オープンしてから2年間は、ビームスという屋号の前に「アメリカンライフショップ」と付いていました。つまり、コンセプトは洋服屋に限定しておらず、『アメリカの生活を売る店』だったのです。しかし、洋服やスニーカーばかり売れていくため、売れるものはやはり買い付けに行く、ということで洋服の比率が次第に増えていきました。

     ビームスは、来年には50周年を迎え、現在は6.5坪の数百倍の規模になっています。しかし、やっていることはなにも変わっていません。「ファッションにとどまらず、ライフスタイルやカルチャーを売る店」。これが、今も変わらず続くビームスのコンセプトです。

    #ビームス#BEAMS#設楽洋#タラちゃん#経営#ファッション業界
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