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2025

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    ビームスの名経営者コンビはかくして生まれた

    #25ビームスの名経営者コンビはかくして生まれた

    原石からダイヤへ

     2025年、ビームスの最高顧問となった遠藤恵司氏との関係は、もう68年になります。彼とは、ものすごく不思議な縁を感じています。小学校に入学した6歳の時に出会い、隣のクラスでしたが、小学校、中学校、高校、大学、さらには浪人中まで、ずっと同じ学校に通いました。そして、中学3年の時に、一緒にバンドを結成しました。

     高校時代もバンドを継続したのですが、他のバンドメンバーは、僕と遠藤を残してみな、現役で東京大学などの名門大学に入学していきました。その中で、僕と遠藤だけは浪人をして、二人で寂しい思いをしたものです。他のメンバーは現役で大学に入学し、またそこで新しいバンドを作って、当時、ヤマハのポピュラーソングコンテストなどに出演していました。僕らが灰色の浪人生活を送っている裏で、他のメンバーは脚光を浴びていき、二人でその映像を眺めていました。

     その後、遠藤と僕はともに慶應義塾大学に合格し、同じクラブに所属して、大学を卒業して就職する時、初めて別れたのです。僕は電通へ、彼はJALへと入社しました。しかし、そこでもまた偶然にも彼と出会うことになります。本当に不思議な縁なのですが、僕が電通としてJALの担当となり、彼はそのとき、JALの宣伝課にいました。電通の6,800人分の1の確率、JALの2万2千分の1の確率で、僕らはふたたび出会ったのです。当初、彼と長年にわたる仲だということは、周囲には秘密にしていました。そこをうまく利用して、「僕がこうプレゼンするから、こう答えてくれ」と画策したのですが、すぐにバレてしまいました(笑)。

     1989年、幹部を含むスタッフ約30人が突然ビームスを退職しました。僕はそのスタッフらとは、ずっと直接仕事をしていたので、本当にショックを受けました。そこで、アメリカ出張に行った際にもニューヨークで遠藤と会い、「お前みたいな、マネジメントのできる人間が欲しいんだよな」と、半分は冗談、半分は本気で彼に言ったのです。

     すると後日、彼から突然電話がかかってきました。「この前の話だけど…」と言うので、「この前ってなんだっけ?」と返したら、「お前の会社に行くよ」と。「どういうこと?」と返すと、「設楽と一緒にやるよ」「どういうこと? えっ、そんなこと言った?」「言ったじゃないかよ」というやりとりがあったのです。

     そのときは、心底迷いました。ともに仕事をすることで、一生の親友を失うことになるかもしれない、と感じていたのです。そして、彼にストレートに言いました。「同じ会社の上司と部下が親友で、ビジネス上の考え方の違いで喧嘩をして、離れ離れになったら、今までの長い付き合いが崩れることになるぞ」と。しかし、彼は「どうしても行く」と言い張るのです。当時の会長と副社長であった両親にも、相談しました。小さい頃から新宿の家に来て一緒に遊んでいたので、よく知っている仲なのです。また迷った理由には、「もしかしたら遠藤は、JALで社長になる器かもしれない…」といった想いもありました。

     しかし、そんな僕の心配をよそに、彼はこともなげにビームスへやってきました。彼は母一人、子一人だったので、ずっとJALで勤務するとなると、海外赴任なども多くなり、家を空けることも多くなります。お母様もご高齢だったので、近くにいてあげたいという想いもあったかもしれません。そして何より彼は、「他の人とだったらやらないけど、設楽とだったらやりたい」と言うので、僕は最終的に彼の入社を決めました。

     そうして、1989年に、遠藤はビームスに入社してきました。それから34年の間、ともに経営をしてきました。以前にも述べましたが、僕は完全ソフト型の社長、彼は身体は大きいけれど繊細で、数字型の副社長です。だからこそ、いいコンビだったのではないかと思います。

     それでもたまに、激しく衝突することもありました。「立場をわきまえなさい、いちおう社長と副社長だぞ」と言うと、彼は昔からの友人なので、「それはないんじゃないの?」といった形です。彼の言い分としては、「社長が絶対的な存在になってしまって、誰も何も言えなくなったら終わりだ」ということなのです。「忠告役は自分がしなければいけない」と。ときには、クライアントや取引先、社員の前でも喧嘩をすることもありました。「それは違うだろう!」と僕が言うと、「ここで言うなよ」と返される、という具合に。

     それでも、遠藤は最終的には、人に対する愛情を深くもっている人間なのです。それは、僕に対してだけではなく、社員に対してもそうです。彼は、社員やスタッフに対する面倒見がよく、よく声をかけたりしています。そして、「社員の名前は全員覚えている」と言うのです。おそらく、ちょっとオーバーに言っているのだと思います(笑)。

     しかし、副社長在任中は彼が全社員の最終面接をやっていたため、あながちあり得ない話でもないとは思います。実際、彼は地方の店へ出張したときにも、しっかりとスタッフの名前を勉強してから行きますし、名前を呼んで声をかけたりしています。社内コミュニケーションやスタッフを大切にする、ということをすごくやってくれているのです。そうした部分では、本当に感謝をしています。

     このように、僕らは幼い頃から、お互いを補完し合う関係でやってきました。本当に、貢献をしてもらっているなという想いがいつも僕の中にあります。

    #ビームス#BEAMS#設楽洋#タラちゃん#経営#ファッション業界
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