
電通入社と父の会社の危機
6/13(金)
2025年
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設楽 洋 2025/06/08
僕の大学時代はまだ物も情報もなかった時代で、デザイナーやコピーライターといった横文字商売の方たちから、さまざまな情報、例えば海外の流行やニュースなどをもらっていました。そうしたこともあって、一芸に秀でたクリエイターやアーティスト職人さんには、ものすごい憧れとコンプレックスを持っており、それは今もどこか残っていると感じています。
僕は昔から、何でも“ある程度一応こなす”ことはできました。でも、何ひとつ一流の人には、かなわない。先にも述べましたが、例えば、サッカーでも優秀選手になりました。でも、やってみると上には上がいますよね。たとえ学校で一番を取ったとしても、プロの世界へ行ったら全くかないません。僕は、絵も上手いし、音楽もバンドをやっていましたし、全部一応かじってはいます。でも、ギターテクニックにしても上には上がいますし、絵もまあまあ上手いですが、東京藝大へ行ったわけでもありません。建築にもすごく興味はあるけれども、建築学科へ行ったわけでもないのです。
だから、いまだにアーティストや技術者、大工さん、職人さん、そういう人たちに対する憧れはとても強くもっています。自分自身は、何でもできるけれど、何一つ極めるものがない。それでも、クリエイティブに関わる仕事がしたい、と思ったのです。そこで、大学卒業後どこへ行けばいいだろうかと考えたときに、やはり広告の世界だろうと、電通を目指すことにしました。
当時、一緒にバンドをやっていたメンバー5人のうち2人が、奇遇にも現役で電通に入社していたのです。僕は一浪したため1年遅れていました。2人のうちの1人は、バンドマスターをやっていた人間で、コピーライターとなり、1年目から新人賞を獲るなど、活躍をしていたのです。
それも相まって、僕も広告の世界に行こう、コピーライターやCMプランナーになろう、と決心しました。しかしここで問題が発生しました。僕は大学時代も、講義には最低限は出て単位は取っていたものの、先に述べたように、雀荘か海に通ってばかりいたため、体育を含めて成績Aが4、5個しかなかったのです。就職部に相談に行くと「この成績だと一流企業には入れない」と、はっきりと言われました。
ちょうどAの数が僕と同じくらいしかない先輩が電通に入っていたので、「電通に入りたいんですけど」と言ったら、「君はコネはあるかね」と。
「いや、そんなのないですけど」と答えると、「マスコミの勉強はしてるかね」と言われて、「いや、これからですけど」。
「100パーセント無理だから、やめなさい」と、強く言われました。