
年配者は謙虚に学べ、若者は大胆に実践せよ
7/27(日)
2025年
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楠本 修二郎 2025/07/19
36歳でカフェ・カンパニーを起業し、がむしゃらに走っていた42歳の時、私はガンになりました。いわゆる本厄の年でしたが、まさに人生における大きな厄災でした。
きっかけは、会社案内のための撮影をしていた時のことです。創業時から一緒に仕事をしてきたクリエイターが、ファインダー越しに言いました。「兄貴、なんだか今日、顔色が悪くないですか」。「何を言っているんだ、こっちは絶好調だよ」。当時、ランニングを始めたばかりで体調はむしろ良いと感じていた私は、そう笑い飛ばしました。しかし、彼は真剣な表情で「いえ、絶対に良くないと思います」と繰り返すのです。
胃については父の教えもあり毎年検査を受けていましたが、異常はありませんでした。そんなある日、一回り年上の専務が「楠本さん、大腸の検査を受けたいので、良い先生を紹介してください」と尋ねてきました。彼のポリープが見つかったという話を聞き、「そうか、大腸という可能性もあるのか」と、ふとあの時のクリエイターの言葉が頭をよぎったのです。
そこで、検査を受けることにしました。そのときは軽い気持ちで受けたのですが、麻酔から覚めると、先生が私の手を固く握っていました。
「大丈夫。君の命は俺が守る」。
何事かと尋ねる私に、先生は静かに「悪性腫瘍だよ」と告げました。
大腸ガンは自覚症状が出にくく、発見が遅れがちですが、幸いにも私は早期でした。手術で切除し、今に至るまで元気に仕事を続けています。しかし、あの時「ああ、自分は死ぬのかもしれない」と、死をはっきりと意識したことで、不思議と心が晴れやかになったのを覚えています。
「人はいつか必ず死ぬ。ならば、この一度きりの人生を、もっと自分らしく全うしよう」。 心の底から、そう思えたのです。
これはリクルート事件の時に、ある瞬間から晴れやかになった気持ちと、同じです。手術の前は多少怯えていましたが、見つかってからは、「早期発見だし、大丈夫だ」と思うことができました。そしてこれが、自らの人生を考えるきっかけとなりました。
回復後、原因は定かではありませんが、私の感覚は以前よりも鋭敏になっていきました。街を歩いていると、すれ違う人々のライフスタイルや交わされている会話、その人の背景などが、まるで情報として飛び込んでくるのです。相手の立場を理解するというより、相手そのものになりきるような「憑依性」とでも言うべき感覚が、日に日に高まっていきました。
かつて当社の役員に、オーダーを取る絶妙なタイミングを心得ているホスピタリティの達人がいました。彼にコツを尋ねると、「向こうから情報が飛び込んでくるんですよ」と答えたことがあります。もちろん、それは長年の修練の賜物ですが、私の感覚もそれに近いものがありました。
その感覚は、やがて私を旅へと駆り立てるようになりました。「アリゾナに行かなければ」「京都の貴船神社だ」。誰かに呼ばれるように、突き動かされるのです。ある時、旅先の店で出会った老人に「ナバホに行け」と言われ、導かれるままにアメリカへ渡り、ナバホ族の居住区で儀式に参加したこともあります。メサというテーブル形の台地の上で瞑想し、UFOを見たり、雷に打たれるという、言葉では説明しがたい体験もしました。
なぜかアメリカの天才画家、ジョージア・オキーフの生家へ強く惹かれたりと、私の旅は続きました。不思議なことに、「次はポートランドが面白そうだ」と直感すると、少し経ってから本当にポートランドが注目され始めるのです。時代の半歩先を読むセンサーが鋭くなったのかもしれません。
ガンという経験は、私に旅をさせ、未来を指し示す「羅針盤」のようなものを体内に授けてくれた。今振り返ると、そんな風に感じています。