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2025

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    コロナ禍、静寂の日本が教えてくれたもの

    #21コロナ禍、静寂の日本が教えてくれたもの

    原石からダイヤへ

    2015年頃から、私は本格的に地方創生へと軸足を移し始めていました。サービスエリア事業など、個別のプロジェクトは成功を収めましたが、私の心の中には常に大きな問いがありました。

    「点在する農業や漁業、食品加工、外食、ホテルといった産業を、どうすれば有機的に結びつけ、ひとつのチームとして機能させられるのか。」

    世界に目を向ければ、日本の食文化への評価は高まる一方でした。しかし、足元を見れば、その豊かさを支えるべき地方の農業・漁業などの「営み資産」は、静かに枯渇していく。この大きなチャンスと深刻な危機が同居する状況に、私は強い危機感を覚えていました。先に述べた2010年のCIA(カリナリー・インスティテュート・オブ・アメリカ)以降、シェフの皆さんの数々の成長によって、世界のヒーローがたくさん生まれています。彼らと連携しながら、日本の里山里海というシステム全体が潤う仕組みを作らなければならない。それが、コミュニティづくりを掲げてきた私の、最後の仕事になるはずだと考えています。

    そうした模索の末にたどり着いたのが、「食の横軸連携」という答えでした。

    この構想を実現すべく、ある企業との合併に踏み切ったのが、2019年11月のことです。しかし、そのわずか2ヶ月後、世界は新型コロナウイルスという未曾有の危機に飲み込まれました。結果的に、この合併は解消せざるを得なくなりました。

    計画が白紙に戻り、街から人が消えた。その混沌の中で、私は考えるよりも先に、突き動かされるように走り出していました。誰もいないキャットストリートを駆け回り、途方に暮れる飲食店の仲間たちに助成金の情報を届け、そして、これまで頭の中で巡らせてきた考えを、今こそ社会への処方箋として示さねばならない、と決意したのです。そうして生まれたのが、著書『おいしい経済』でした。

    かつてガンを患った後、世界を駆け巡りたいという衝動に駆られたように、コロナ禍の閉塞感の中で、私は「誰もいない日本」を巡りたいと強く思いました。北海道、東北、北陸、関西、四国、九州、沖縄…と、あらゆる地域を巡りました。

    そこで目にしたのは、息をのむほどに美しい、ありのままの日本の姿でした。誰もいない清水寺の舞台に立った時、この寺が建立されて以来、初めての静寂ではないかと感じました。人を介さず、日本の風土そのものと静かに対峙する中で、私の感覚は研ぎ澄まされていきました。

    この旅は、日本という国と自分自身を改めて「同期」させるような時間でした。私の感覚は、静かに、しかし大きく変容していったのです。

    それは、私が普段から大切にしている異業種の方々との対話にも通じるものがあります。自分とは全く違う発想を持つ人に敬意をもって「憑依」してみることで、自分の悩みの小ささに気づかされたり、物事の本質が見えたりする。コロナ禍という危機と、誰もいない美しい日本を巡った旅は、私にそうした多くの視点と、次へ進むための新たなエネルギーを与えてくれたのです。

    #楠本修二郎#食産業#foodbusiness#コミュニティ#zeroco #一次産業
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